老いのひとこと

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無断掲載



車の中でNHKのFM放送をよく聴く。


偶々今日はベートーベンの運命をやっていた。


歯切れの好い解説者の弁にとてもこころ惹かれた。


わたしは格別、クラッシック音楽に興味があるわけではないがテレビに映る指揮者や演奏者の真剣な眼差しとか無心な仕種が好きだ。


カラヤンとか小沢征爾さんの名前を知る程度で指揮者アーノンクールさんのことは聞いた事もなかった。


解説者さんの言葉を借りれば此の指揮者アーノンクールはベートンベンの運命交響曲に対し極めて独創的見解の持ち主なのだと紹介はつづく。


聴力を失うという劇的悲痛に直面し此れを運命と捉えたベートンベンは自分の運命の扉を「ダダダーン」と開いていく。


このような安っぽい俗説ではない隠された真実の背景があったのだと興味を注いでさらに解説は続いた。


圧政に虐げられた民衆が遂に自由を求めて鬨の声を張り上げ今蜂起し始めたではないか。


今まさに市民革命の烽火が切って落とされ燃え盛かっているではないか。


此の大群衆のエネルギーが大爆発したその瞬間に程なく離れた野外音楽堂から此のシンフォニーの音色が高らかに奏でられ確と響いてくるではありませんか。


わたしもこのような情景を想像した。


作曲家ベートンベンの意中は斯くも高尚高邁であった何と素晴らしい事ではないか。


指揮者アーノンクールは作曲家ベートンベンの意中を汲んで臨場感あふれる雰囲気を見事に演出した。


また、機会あれば指揮棒を握るアーノンクール歓喜に満ち溢れた素晴らしき姿を是非見てみたいものだ。


アーノンクールの「運命」に聴き惚れました。


 


奇しくも、わたしは土砂降りの国会周辺でシールズの皆さん方が絶叫しながら訴えられたあの鮮烈なる場面と重ね合わせてしまった。