老いのひとこと

嗅覚までも劣化したものか、それとも香りを失った白蓮の新種なのかわたしにかその香りが伝わらない。

桜に先んじて豪華な開花の美しさを誇らしげに披露する、一斉に白き天使たちが乱舞する。

ところが生ある物体はやがては衰退し終焉を迎える、生と死が表裏一体となり目まぐるしく転回する。

白蓮は美と醜が同居する、此れものの憐れというしかない、地上に落下した花弁の亡骸は無慚というしかない。

甘酸っぱい死臭が漂うは無性に自然の摂理の哀感を誘うのです。

 

 

この情景を目の当たりにして、ふとわたしは成田悠輔氏の集団自決論を彷彿とした。

きっと其の彼も同じく此の光景を目前にして経済理論に到達したのではあるまいか、そんな気がしてならなかった。

最早、生気を失った者たちは敢えてわが生命と決別し潔く地上に向かい死のダイビングを為す、依って天下の活力に無言で寄与する崇高なる姿そのもののように映ったのだ。

成田悠輔の判断が分からぬでもない、そんな気持ちにさせられた一時だった。

 

されどあの暴論には近づき難い。