老いのひとこと

金沢大学角間キャンパスの資料館へ赴き、旧石川女子師範の写真資料の開示を願い出た。

例によって免許証で身分を証し戸籍謄本で母との続柄を明示して我が母親の在り処を問い質した。

1925年に金沢第二高女を卒業し同年に石川女子師範本科第一部(修業年限五か年)に入学し1930年に卒業した証を検証して頂くように懇願した。

担当の教官からは恐らく写真資料は無い筈だが卒業者名簿で確認し後日返答する旨報告を受けたのです。

数日後メールが届き胸ときめかせ目を通せば間違いなく当校に在籍せしは判明いたすも我が母に関する記載は「大正15年第二部2組」の故人の箇所に「高橋トシ(旧姓津田トシ)」の身である事実を知らされ正直愕然とした。

しかも、その名簿の閲覧すら守秘義務に反するゆえ罷りならんと余りにも冷淡すぎはしまいか。

我が母は蔑ろにされたも同然で奮然遣る方無き想いに突き放された、悲しかった。

 

第一卒業者名簿に当人の卒業年次の記載が無いとは此れ在り得ぬことではないか。

決して、母は在学中に死亡はしてない、母は47歳までわが生命を立派に全うしているのだ。

 

しかし事実は事実、母は第一部ではなく第二部2年制でしたか、母よ頑張ったなあ、改めて冥福を祈る。