老いのひとこと

             無断掲載

列記とした名門校、嘗ての石川県立金沢第二高等女学校という実在した学校本体が其の面影を後世に伝承する系統的遺産が無い、泉野・玉川にも市教委・文教会館にもない。

ただ断片的な残滓が散在するに過ぎない実態に文化都市を自認する金沢には信じ難き眞實に些か参りました。

まさか国会図書館へ出向くわけにはゆきますまい。

 

1908年生まれのわたしの実母津田としは1920年に金沢第二高女に入学し1925年に卒業したことまでは卒業者名簿にて確認できたが写真資料等を求めて文教会館に照会すれば幸運にも実在するとの報に接した。

処がコピーは頑なに拒む、守秘義務を楯に顔写真は罷りならんという。

此れは公のモノではなく個人の私物の寄贈品に付きダメだという、周囲の人物を排して当人だけも承服し難いという。

孫たちへの向学のためだと押し問答したが此方が折れるしかなかった。

孫たちをぞろぞろ連れて閲覧の機会を戴くわけにも参りますまい、もはや諦めるしかないのだ。