老いのひとこと

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先日の事、故あって泉野界隈に足を踏み入れた折に一本の梅の老木に出会った。

其処には古びた立て札が立つ。

金沢市が2番目に指定した景観樹であると書いてある。

歴史的観点からみて此の梅の木は金沢市の景観上残して置くに足る銘木であるらしい。

成る程なりと目を通せば何んと此の梅の樹は篠原出羽守一考の子孫のものが手植えし由緒ある老木なんだという。

此の梅の樹を見るに付け少しく親近感を覚えてしまったのです。

 

 

わが元祖大橋源左衛門・覚兵衛父子は慶長年間のころ大垣城主伊藤家の家老職として君臨した。

関ヶ原の戦いに際し弱冠16歳の城主は西軍石田三成に加担したばかりに徳川家康に追われる身となり若き正室鏡智院(実名不詳)の郷里金沢の地に遁れ来て暫し身を置いた。

此の鏡智院こそが立て札の主篠原出羽守一孝の娘であった。

従って、此の目の前に生きる梅の老木は此のわたくしとは遠い遠いご縁でもって結ばれているのかと思えばやはり感無量だ。

斯くなる手前味噌をこね回してみても誰しも目を背けて唾棄するばかりでありましょうが此のわたくしは一向に構わない。