老いのひとこと

昭和34年学卒の年に菊水分校勤務の拝命を受けた、親爺さんも余程嬉しかったのかわたしに背広を新調して呉れた。

当時金沢には「洋服の青山」がある筈もなく、わざわざ老舗の仕立て屋さんに採寸から依頼しあつらえて貰った。

自負心が沸々と湧きいずる思いを新たにした、山里の勤務地には相応しくない代物だったが爾来いっちょらいの背広として大切に厳重に保管してきた。

何せ、純毛の羅紗製品でずっしり重い、気品と重量感溢れる最高級品なのだ。

当時には未だ「YKKファスナー」が世に出る筈もなくズボン

の前開きはボタン付きで俗にいう「マラボタン」であった。

何んとも懐かしいオールドファッションの逸品に違いない。

 

先日、衣類の断捨離を断行したのだがどうしても此ればかりは決断を憚った。

併せて、新婚旅行に際し母親の弟にあたる叔父津田全氏から贈与された一着と弟利治の知人にあつらえて貰った一着もどうしても捨て難く、再びタンス入りになった。

 

最早、背広を着こなす機会はない、従って最早無用の長物と化したにも拘らず女々しくも捨て難いのだ。

 

昭和34年製は何処かの服飾博物館に寄贈しようかなあ。