下手糞老いぼれ剣士より少年剣士たちへ

剣道で学ぶべきこと

何ごとにも一生懸命に全力を尽くすことが大事です。
もともと竹刀は単なる竹刀ではなく真剣そのものなのだと思う所から出発しなてはならない。
そうなんだから、真剣(しんけん)勝負(しょうぶ)で一生懸命(いっしょうけんめい)に全力を尽くさなかったら負けて自分の命を落としてしまうことになるのです。

竹刀を用いた剣道でも常に一期一会(いちごいちえ)の気持ちで臨(のぞ)まねばなりません。
すなわち、あなたとの立会(たちあ)いは一生に一度限りの巡(めぐ)り会(あ)わせなのだという気持ちで真剣に勝負しなければならないということなのです。
あなたと私のどちらかが命を落としてしまうのだということなのです。
今あなたとお会いしたが「逢(あ)うは別(わか)れのはじめ」の例え通りあなたとわたしのどちらかが今命を落として、お互いにお別れしてしまうのだという、切羽詰(せっぱつま)った気持ちなることがとても大事なのです。

それゆえに、大きな声でお互いの挨拶を交わすのです。今生(こんじょう)の暇乞(いとまご)いなのです。
「お願いします」「ありがとうございました」あらん限りの大きな声で挨拶をするのです。
此の挨拶にも一生懸命に全力を尽くさねばならないのです。
一生懸命に全力を出さないと相手に失礼なのです。
今から命のやりとりという重大事(じゅうだいじ)をすがすがしい気持ちでとり行いましょうとお互いに挨拶するのです。
外のスポーツですら元気よく挨拶します。挨拶(あいさつ)をしない剣道なんかありえないことなのです。
恥ずかしいことなのです。剣道をする資格がないとまで言えるでしょう。
面を上手に打てなくてもいいのです。剣道をやった以上はせめてこのご挨拶(あいさつ)だけでもできるようにしなくてはなりません。
挨拶は道場への出入りや稽古を見守ってくれたお母さんお父さんたちにもちゃんとできるようにしなくてはなりません。

稽古の立会いでも一生懸命に全力を出し切ることはもちろんです。
大きく振りかぶって気合のこもった面打ちを出さないと相手は絶命(ぜつめい)しません。
そうでないと、相手の人に失礼なのです。打たれた人が痛がってのた打ち回るだけなのです。
一刀(いっとう)のもとで絶命させてやらなかったら可哀想なのです。
そのために素振りが大事なのです。素振りも一生懸命に全力を出し切ってやらねばならないのです。

残酷(ざんこく)で惨(むご)たらしい事を書きましたが竹刀(しない)剣道(けんどう)も真剣(しんけん)勝負(しょうぶ)だと思ってやらなかったら意味がないということを言いたかったのです。
剣道は外のスポーツとは根本的(こんぽんてき)に違うのです。剣道は生きた命と命との戦いなのです。
確かに命と命のやりとりという血生臭(ちなまぐさ)いスポーツなので、だからといって野(や)蛮人(ばんじん)とかケダモノのすることだと決め付けてはいけません。
正しい人間(にんげん)同士(どうし)が対戦するときには礼儀(れいぎ)正(ただ)しく正々堂々(せいせいどうどう)と戦わねばならない。
卑劣(ひれつ)で卑怯(ひきょう)な戦法は許されません。不正(ふせい)な人間同士や獣(けもの)の闘争(とうそう)とは違います。
弱肉強食(じゃくにくきょうしょく)の食うか食われるかの畜生(ちくしょう)剣法(けんぽう)ではないのです。
勝負は時の運、勝っても負けても時の運であり、お相子(あいこ)さんなのです。
激しく戦うが、戦いが終わればお互いに健闘(けんとう)を讃(たた)え合いねぎらい合うのです。
お互いに相手の立場を認め合い、理解し合い、尊重し合うのです。とても、心優しい格(かく)闘技(とうぎ)なのです。
しかし、剣道を通して、そこまで人間(にんげん)形成(けいせい)を成し遂げた剣士はそんなに多くはありません。
みんな道(みち)半(なか)ばというところにあるのではないでしょうか。
だから、皆さんも含めて剣道を志したものはすべからく、一心不乱(いっしんふらん)になって全身(ぜんしん)全霊(ぜんれい)を尽くし誠(せい)心(しん)誠意(せいい)お稽古を積まねばならないと思うのです。
真面目(まじめ)に一生懸命になって全力を出し切るお稽古をやりましょう。
頭のテッペンから足の指先にまで気力がみなぎる剣道をすれば周りの人たちに大きな感動を与えるのです。
昔から伝わる日本人の剣道はそういうものだったはずですね。