下手糞老いぼれ剣士の独り言

先回の続き=直心影流「法定の形」のこと
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如何に武神を祭りし鹿島神宮とて、その神官たちに伝承される「一の太刀」は只無条件に単純なる殺戮行為のみを是認するはずもない。
鹿島神傳直心影流の分派に、針谷夕雲と小出切一雲による「無住心剣流」相抜けの技が厳然としてある。
キーリング イーチ アナザー共倒れを意味する相討ちの極意ではない、ゴーイング スルー
撃ち合う両者共々生還する信じ難き剣法、相抜け技を創造した。
また、鹿島神傳直心影流第五代道統者であった神谷伝心齋は晩年には我が流派を捨てて、名を紙屋伝心と蔑みつつ「直心流」剣術を新たに創出した。此の「直心流」剣術は非切を以って極意とした。
人を斬るには非ずして、己の非心を斬る事をモットーにして形稽古のみに終始したのだという。
また、新陰流の分派たる「平常無敵流」と言う特異な流派があった。
此れは、天下無双の無敵ではなく天下に我を害する敵なるものがいない平和をもたらす事を旨とした兵法なのだという。
山内一真の流れを組む池田成祥が老子道徳経第六章“谷神は死せず 此れを玄牝という
玄牝の門 此れを天地の根という 綿々として存するが如し 此れを用うれとも尽きず“から谷神傳を極意とし、無益なる殺生ごとを厳重に戒めるという風変わりな剣法を編み出した。
其処には形すらなく、もっぱら心法のみを修業した。
名たる剣客、天真一刀流の寺田五郎右衛門(宗有)、白井亨らも魅せられて入門を果たしている。
谷神とは、女性の神秘的な不可思議な空なる谷間の(精神の)ことであり、其処にある心に対し何にも考えずに静かに静かにして居れば宇宙の根源にまで行き着くであろうという。
また其処には、あたかも女性が万物を生み出すように尽きることなく湧き出ずるエネルギーの発生源があって、愛のエネルギーを終わることなく生み続け、疲れを知らないのだという。
更には、鹿島神傳直心影流の法定の形にみる「一の太刀」自体を冷静に観察すれば新奇な捉え方が生じよう。
つまりは、あくまでも「一の太刀」は明らかに後の先の技なのである。
であるならば、先方が殺意を持って攻めの起こりを内に示さない限り、当方の八相剣が炸裂するはずもない。
勝負は膠着し、無用な殺傷場面は未然に終息するのである。
「一の太刀」を生み出す八相の構えは殺人刀ではなく明らかに活人剣に違いはない。
先方の邪まな心を制し、邪剣の起こりを封じ込めているのである。
邪剣でない限り、八相剣は微動だにしないのである。
正剣には八相剣は通用しないのである。
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そもそも此の法定の形は鎧兜という具足を身に纏う中世・近世期を前提としている。
従いて、戦場に臨んで己の身の周りの客観状勢が如何に劣悪だろうが戦(いくさ)を忌避(きひ)しては人間が廃(すた)るのである。
それ故に、如何に不自然で不安定な体勢であっても、此の不条理な局面を打破して行かねばならない。
死に直面し絶望の渕に立たされ、敗北寸前の絶体絶命の瀬戸際にあっても局面を打開し起死回生の蘇生を図るべく、凄まじき形相で這いずり上がらねばならない。
死から脱却し、生へと望みを繋ぐ。マイナス思考(悲観)をプラス思考(楽観)へ転化さす。
窮地の仲から活路を見出し、逆境を転じて順境へ繋げて行く。
これらの諸要素を兼ね備え且つ併せ持つのが「法定の形」に他ならない。
世に言う武士道精神が脈々と流れる、この鹿島神傳直心影流・法定の形の「一の太刀」の極意を
国難に直面しても猶依然として権力闘争に明け暮れる政局の当事者たち=取分け日本国の宰相たる菅直人氏に此れを是非とも捧げたい。
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 2011年3・11東日本大地震鹿島神宮の大鳥居をも破壊し尽くし、みちのくの地に残酷にも痛々しき爪痕を残していった。
 そうした中にあっても挫けることもなく雄雄しく東北の民は立ち上がった。
 逆境を跳ね除け、平然と沈着冷静に大自然の成り行きに無言で対応する崇高なる姿には敬服し頭が下がる。
 此の気概こそが、此処鹿島の地に育まれた「一の太刀」の真髄に違いはない。
 全世界の民衆が此の事を認知した。“ガンバレニッポン”
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