下手糞老いぼれ剣士の独り言

鹿島神傳直心影流「法定の形」
「一の太刀」を考える

鹿島神宮の祭神は武甕槌神(たけみかつちのかみ)である。此の神様の神話上のエピソードは次のようなことになる。
古事記日本書紀と言う日本国の神話の中で一番最初に高天原(たかまがはら)なる空間に現れる神さまが天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)で、此の神が全宇宙を創り天地開闢(てんちかいびゃく)以来の万物を創った神なのだと言う。
その後永い永い時代が過ぎて神代の七代目に、日本国の国土を創った男の神である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と女の神である伊邪那美命(いざなみのみこと)が登場する。
此の夫婦神は天之御中主神から与えられた天の瓊矛(あめのぬほこ)から大八島(おおやしま)の国(日本国の異称)を産んだのだ。
また、天照大神(あまてらすおおみかみ)や素戔嗚尊(すさのおのみこと)など多くの子を儲けたが最後に生まれた迦具土神(かぐつちのかみ)は火の神様であったので事もあろうに自分の母親である伊邪那美命を死に至らしめてしまう。
そこで父親である伊邪那岐命は罰として、何と言いましょうか、わが子迦具土神の首を愛刀十握剣(とつかのつるぎ)でもって刎ねてしまった。
その時に、飛び散った血潮から生まれたのが外でもない武甕槌神(たけみかつちのかみ)なのだという。
霊剣十握(とつかの)剣(つるぎ)の霊魂が武甕槌神に乗り移っているので武神と言われる所以になるらしい。
確かに母親殺し実子殺しという実に血生臭い、しかも縁起の悪いストリーが展開するが、この霊剣の神霊を宿すのが鹿島神宮の祭神たる武甕槌神と相成るわけだ。
 その間の経緯を今少し紐解けば、いわゆる国譲りの神話に見られるように大国主(おおくにぬしの)命(みこと)との談判のために出雲の国へ出向いた武甕槌命と経津主(ふつぬしの)命(みこと)(香取神宮祭神)は国譲りに承知しない大国主命の息子建御名方(たてみなかたの)命(みこと)を追って信濃の国諏訪湖の近くまで攻めて降参させた。
そして、そのまま東国に居付き支配権を拡大し、遂には鹿島の地に城を築き北方の蝦夷に備えて大和朝廷を守護するに至るのです。
 また一方では、当時常陸の国の鹿島の地には鹿島神という神さまがいて、蝦夷征伐に赴く大和朝廷の軍勢を守護する役目を果たしていたのだとも言われます。
即ち、鹿島神が大和政権の軍神を兼ねる意味合いがあったのだというのです。
 其処へ以って、大化の改新に功績あった中臣鎌(なかとみのかま)足(たり)の出生の地が鹿島の地にあったので中臣氏(藤原家)の氏神武甕槌命に他ならず、平城京にある春日大社の分社として鹿島の地にも鹿島神宮を設けたことは大いにうなずける。
 もちろん土着の鹿島神の要素と神話上の武甕槌命が自然合体したのが鹿島神宮である。
 以来、この神宮の祭神たる武甕槌神は武勇の権威の象徴として古の代から延々と今日に至るまで君臨し続けていることになる。
*     *     *
 尤も、第二次世界大戦後の一時期には戦前の皇国史観が全面的に否定され唯物史観に基づく歴史教育が施された結果、神話の世界は完膚(かんぷ)なきまでに抹消されてしまった。
 従って、学校教育での歴史教科書はアウストラロピテクス旧石器時代縄文時代に始まり、其処には国生みの神話も禊祓(みそぎばらい)いや国譲りや天孫降(てんそんこう)臨(りん)のお話などはあるはずもない。
森羅万象この世にある一切の物事に各々皆神さまが宿り、記紀という雄大なるロマンに彩られた神話の世界が形成された事などはまったくと言ってよいほどに等閑(とうかん)視(し)されてしまった。
そのような中にあって、たまたま武甕槌命という一体の武神がクローズアップされた訳だが、これは正に剣神となり、また軍神にもなり、また戦神にも成り得ることであった。
明治維新後の日本は「殖産興業」「富国強兵」を国是(こくぜ)として、俄仕立ての資本主義国家を樹立し、おのずと市場獲得のための帝国主義侵略戦争へと一気に傾いて行かざるを得なかった。
そして、戦意昂揚のため急進的国家主義的思想が 台頭し燎原に火の如く武神が軍神や戦神に急変し、遂には英雄神にまで祭り上げられ、数多の御霊が靖国に散り葬られていった。
神国日本の華、神風特攻隊が一世を風靡したが、その結果としての敗戦は、軍閥諸共(もろとも)軍神はおろか武神のみならず八百万(やおよろず)の神々までもが全て抹殺されてしまった。
    *     *     *
戦後、新憲法のもと一億の民は一丸となって我武者羅に働いた。
飢餓からの脱却、腹いっぱいにものを食いたい一心で、なりふり構わず営々として働いた。
その結果、日本国は奇跡の復興を遂げ、全世界の人たちが驚嘆の目で日本を見た。
高度経済成長を成就し、新幹線と東京オリンピック大阪万博等を世界に誇示した。
西独を抜いて世界第二の経済大国に伸し上がってしまった。
ところが、この豊満な豊かさを手に入れると同時に一億の民が共有していた貧困からの脱却という目標意識がもろくも崩れ去っていった。
目標を見失い、日本国民皆んなが右往左往し始めた。
いつの間にか、自由気ままに好き勝手な行動を取り始めた。
これを、当時の世評では価値観の多様化と呼んで日本人皆んながうなずき肯定した。
結果として、神話の世界が徐々にではあるが少しずつ甦ってきた、と同時に「全剣連」の名の下に数多の少年剣士が参集し竹刀剣道が一大ブームとなり隆盛を極めた。
揆を一つにして「鹿島の森」がよみがえった。
*     *     *
今少し、この「鹿島の森」にたたずむ鹿島神宮の歴史的存在意義を再確認してみたい。
言うまでもなく、此の鹿島神宮は大和政権が東北の地へ勢力を進展させるための重要拠点であると同時に北九州防禦のために関東の若武者たちを「防人(さきもり)」として養成するための重要なる大学校でもあった。
 霰(あられ)降り 鹿島の神を 祈りつつ
皇御軍(すめらみくさ)に われは来にしを

今日よりは 省みなくて 大君の 醜の御楯(しこのみたて)と 出で立つ我は
 些(いささ)か復古調に響く嫌いはあるが、至って卑しき身の上であっても天皇のためにわが命を捧げ御楯となって殉ずるという関東武者の純一無雑な心境を万葉人は詠っているのである。
 彼の防人たちは遠く家を離れ家族と別れて、独り身で国家防禦のためわが命を犠牲にしていった。
 この心胆と心魂こそが、鹿島神傳直心影流に伝わる「法定の形」の一の太刀によって修錬され修得されたのである。
 この「一の太刀」を流祖松本備前守尚勝は「八相発破」と名付けた。
 その目録傳によれば、『是は陰の構えにして当流にては後の先の勝ちを取る也。此の一の太刀にて勝負する大切な太刀なれば、八相の外は皆変化の太刀と知る可し』と八相発破を解説する。
 直心影流は固有の木剣を用いる。総丈三尺三寸(約毅蹇法∧粗の長径は一寸四分(約4.5cm)とし短径は一寸一分五厘(約3cm強)を常寸として素材は白樫で重量は1.数kgを優に超えるものもある。
 此の木剣は、只単に私情によって敵を斃さんがための剣であってはならない。
飽くまでも、神から授けられた一大使命を帯びた霊剣なりと心得ねばならない。
木剣を真横にして肩幅にて両腕伸ばし、頭上真上に掲げる。
閉足立ちのつま先を伸ばし全身伸展させ同時に阿吽の呼吸にて吸気を気海丹田に込める。
これより、上半円の動作に入る。己が円の中心にあって己が描く己の世界、小さくは己自身であってよし、一家であってよし、あるいは天下国家であってよし、大きくは無限に広がる大宇宙そのものであってもよい。
とにかく、此の上半円の中心に位置する己が、今己の世界の中でいかなる使命を帯びて何をば成さねばならぬかを即断する。
合わせて天の理、天の真理、天の霊気と英気を「阿」の吸気で全身に取り入れ「吽」で臍下丹田に取り込み、天からの使命感を一気に膨張させ炸裂する瞬間を待つ。
更に粛々と演武が進み、打太刀は右斜の構えから静かな吸気によって上段に構える。
此れに応じて、仕太刀は同じく吸気に導かれて上段から右八相の構えに変化する。
剣技上位の打太刀が真っ向上段に対し、仕太刀八相の構えなら脳天はおろか左小手をも相手に曝け出す余りにも無防備な無茶苦茶なる戦術に違いはない。
天からの重大な使命を帯びて対峙した仕太刀は何が何でも天命を全うしなくてはならない。
わが身命を犠牲してでも九分九厘勝負の決している強敵を討たねばならない。  
此の窮余の一策から、此の一の太刀が生じたのだ。
仕太刀は極めて稚拙にして劣悪な体勢ではあるが、それでも攻めの気勢を示す。
打太刀、ここぞと正に心中に決めた刹那に、仕太刀の八相剣は爆発し炸裂する。
早過ぎては功ならず、遅過ぎれば己の絶命あるのみ。一瞬の躊躇も許されない。
刹那の瞬間を捉えて、気力充満する天の命を一気に爆発させ、敵の脳天を両断する。八相発破の名の由縁正に此処にあるのである。
然れども、決して先を懸ける技であってはならない。決して攻めの剣ではない。もとより、身を守るための防禦の太刀であるはずもない。
山田次朗吉著、「直心影流兵法目録解」の八相発破の序章で、此の一の太刀と称する後の先の太刀は当流の秘事なのだと指摘される。
陰中陽を発する処、陰の八相剣がいきなり陽に変化し、打ち込んで勝ちを征するのだという。
また、鹿島神流師範家第十九代の關文威著、「正傳 鹿島神流」の八寸の延矩の章で直心影流第四代道統者小笠原源信斎が編み出した「八寸の延矩」の術理によって、此の「一の太刀」の術技が理論的に正当化されたのだと、画期的な見解を開陳されている。
即ち、上体の躱しで四寸と足運びの躱しで四寸の二つの力学的なベクトルを合成した体捌きによって袈裟斬りの妙技が成立するのだという。
我が体を打ち手の攻撃にさらしながらも、突進し打ち手の反撃と同時に鉛直方向に腕を伸長させ、同時に丹田中心に体を回転させながら太刀を攻撃方向へ競り込めば見事に此の術理は成就しようと主張する。
一の太刀は八寸の延矩の術技によって確固不動の地位を獲得した事になるのです。
大難に直面したとて、我が身命を捨てて一心不乱に全身全霊の力を振り絞って事に当たれば、如何なる難局とて切り開けるのである。
生半可な妥協は許されない。誠心誠意で以って真摯な立ち振舞いが要求される。
耳を劈く怒号に似た雄叫びであり、絶叫に近い咆哮であり、はらわたに響く精神的爆弾の炸裂音であり、背筋寒く耳を塞いで逃げ出したくなるような発狂音でもあり、十町四方にまで伝播する吼号には憎悪と殺意すら包含しよう。
然れども、其処には本懐を遂げし武士の勇気と健闘を讃える余韻が込められねばならない。
其処には惻隠の心や哀憫の気持ちが込められねばならない。
更に究極に至れば、哀悼の意すら表さねばならない。
連合国軍最高司令官、総司令部長官ダグラス・マッカーサーも日本剣道のあの気合と共に発散される異様なる音響を忌み嫌い排撃したのだという。
裂帛の気合を込めて腹の底から搾り出す懸声に、此の総べての意味合いを込めるには、これまた至難の技だ。恐らく、多大なる修行の年月を要することであろう。
*     *     *