下手糞老いぼれ剣士の独り言

鹿島神傳直心影流を学ぶ

    鹿島の地は戦乱の往時には日本国の武道大学ともいわれたので、全国の優秀な武術を志す修行者たちが数多く集まっていた。
    余りにも強力な集団だったので武田信玄はこの地を自分の配下にいれて武田軍に肩入れさせた。従って、徳川家康とは敵対する存在であった。
    信玄が亡くなり家康の天下となるが、それでも家康は鹿島の地を恐れ直心影流を「お止め流」として禁制にし弾圧の対象とした。
さらに家康は、この鹿島の地を徳川御三家の水戸家の支配下に置き、なおもって鹿島神傳直心影流の正統なる伝書の全てを焼却してしまうのでした。
    そうしたことから、4代目の小笠原源信斎は自ら難を逃れて中国大陸(明国)へ身を隠し、家康の死去と共に帰国したという経緯があります。
 幕府の厚き保護の下にあった柳生新陰流とは随分対照的だといえないでしょうか。
    その意味で、この直心影流の流派の「「心」が後世の日本人の心を魅了し、日本人の心の中に留まる要素が大きかったのであります。
つまり、反骨の気が脈々と流れているのであります。
しかし、幕府との関係は時代と共に次第に改善されてゆき、幕末には幕府講武所をリードする存在にまでなりました。
    鹿島神傳直心影流の道統は、世襲を旨とする宗家制度ではなく、道統者の指名による実力主義の道統制度になっているのす。
    正統なる道統者の主なる名前は次の通りです。
● 流祖        松本(杉本)備前守政信(1468~1524)
2代道統者   上泉伊勢守秀綱(1508~1577)・・・門人に柳生石舟齋・塚原卜伝など多数。
4代道統者   小笠原源信斎(1574~1644)明国へ渡り「八寸の延金」を考案。門人に無住心剣の針谷夕雲など。
7代道統者   山田一風斎光徳は名称を今日の直心影流と改める
13代道統者  男谷精一郎(1798~1864)・・・幕府講武所の頭取・教授方つとめる。竹刀の長さ3尺8寸と定める。門人に榊原健吉・島田虎之助・勝海舟ら多数。
14代道統者   榊原健吉(1830~1894)・・・14代将軍家茂の剣道指南役をつとむ。撃剣会の興行や兜割りの天覧で知られる。門人には山田次郎吉など。
15代道統者  山田次郎吉(1863~1930)にて正統者途絶える。・・・東京高等商業学校(現一ツ橋大学)・東京大学の剣道師範つとめる。門人に大森曹玄など。

直心影流の形
1 法定   この流派独特の3尺3寸の木剣を用います。流祖松本備前守鹿島神宮の神事から、これを太刀筋として集大成したものなのです。
        4代目の小笠原源信斎は明国(中国)から帰国後、現在用いている4本の形に改め完成しました。
        この法定の形は大自然の運行を剣の形として表わしたものなのです。
       1本目 「八相発破」は春を表わす形です。春になれば万物が息吹、この発揚の気勢にて八相からの一の太刀にて勝負を決するのであります。
       2本目 「一刀両断」は夏を表わす形である。夏は気炎が天をも焦がす気勢で、勇気を全身に充満させ間髪を入れない勢いを示すのであります。
       3本目 「右転左転」は秋を表わす形です。秋も深まり厳しい冷気が草木を粛殺してゆく気勢にて、果てしなく続く変化を示しているのです。
       4本目 「長短一味」は冬を表わす形であります。冬は大地を一面の雪が覆いかぶさり一見死んだように見えるが、やがて来る春に備えて目には見えない生気を宿しているのであります。この生気内臓の気勢を示しているのであります。
2 韜(袋竹刀)
       4代小笠原源信斎が制定した。三尺三寸の袋竹刀を用いた素面素小手の形である。極めて実戦的で奇襲戦法と正面攻撃を織り交ぜた変化に富んだ14本からなる技である。
3 小太刀
          この形は、短をもって長に対する真の勇気を修練するためのものである。やはり、戦場で用いる実戦的なもので、相手の懐に飛び込む技は生半可な気勢では到底行えるものではないのである。6本の技から成り立っている。
   4 刃挽き
          真剣を用いた形である。法定の形の裏を表わすが、「免許以上であらざれば、これを遣うことを厳禁する」とある。
   5 円橋(まろはし)
          修行の果てに究極の悟りを開いたもの以外は行うことは適わないという形である。立禅の真の姿であり、山岡鉄舟をして、「この形の修行があれば、もはや禅は不要である」とさえ言わしめたものなのである。 

● 法定の形を演ずるに当って

1 雑念という心の垢を洗濯するためにあります。
2 特に一本目八相発破にて、「阿」の吸気で万物の根源・宇宙の真理・天ノ理といったものを臍下丹田へ吸い込む。「吽」の呼気であらゆる雑念と共に全てを吐き切る。
  取り分け、八相からの一の太刀は心の太刀であり、技を超越した心の剣なのであります。
  この八相剣は剣技としては極めて拙劣なのです。面と小手を開けて、上段の打太刀からの攻撃を待つ、敵が攻撃に出ようとする正にその瞬間を捉えて、全身全霊を投げ出し捨て身の技に出るのであります。
  強敵を倒すには、この捨て身の相討ちしか活路がないのです。言うところの、出頭の技・起こり頭を捉える技に他ならないのです。真の勇気を培うのであり、剣士としての義務感・使命感を命懸けで学ぶのであります。
3 技術的なことの修練は本旨ではない。技や勝負を超越した自由闊達な心の動きを大切にするのです。
4 打とうと思わずに打つ・打とうという欲望を捨て去る・勝とうという欲望も捨て去る。何もない無心の心で打つ。何もない無心の心が強い心なのです。この強い心を涵養するために法定の形を修行するのです。
5 打太刀を演ずるは桐田修男氏(金沢市内在住)です。 天竜寺管長・花園大学学長などを歴任した大森曹玄禅師(故人)に師事し高歩院にて直々の薫陶を受けられる。
直心影流に造詣深い県下では稀有な方であり、免許保持者でもあります。
  なお、原則として直心影流に於いては段位・称号は存在しません。

● 法定の形を修錬して学んだ事=自力・自立・自存の精神
 ”坩堕蠅並寮を克服して安定性を体得する。
不自然な姿勢から浩然の気を養い、自得する。
不合理(不条理)な局面を克服して合理性を追求する。
絶望の中から希望を模索し這いずり上がる。
劣勢を転じて優勢へと変化させる。
敗北寸前の局面を打開して勝利へと導く。
絶体絶命の瀬戸際から脱して起死回生の甦生を計る。
死から脱却して生へと望みを繋ぐ。
マイナス思考(悲観)をプラス思考(楽観)へ転化させる。
窮地の中から活路を見い出し、逆境転じて順境へ繋げる。
学ぶこと実に多し。