下手糞老いぼれ剣士の独り言

松岡源七剣士を偲ぶ



古武士然とした風貌、控えめな佇まいで決して自分色を表にはしない。寡黙でおべんちゃらを告げることを知らない。
飄飄ろうろうとした体捌きから応じ返す剣捌き実に絶妙。
よわい九十を超える小兵なるご老体ではあるが、俊敏なる動きで打つべき機会を逃すことはない。
精悍なる眼光から困憊の色を見せたことがない。時には若干向きになられるわらびしい一面を垣間見たがむしろ人間味が伝わる。
御歳九十四歳にて他界されるまで悔いなき剣道人生を堂々と歩まれた。立派な先人であり、追随しがたき鑑の如き存在でいられた。
病床に臥されし氏のもとへ送り届けた書簡を見つけた次第にて・・・


2003年9月15日
拝啓 やっと少しだけ日差しが和らぐ気配がみえてきました。処で
やたらと度繁く手紙を出すと、松岡さんからはひじょうにわずらわしい限り、ありがためいわくだとお叱りを受けているかもしれません。
よっぽどの暇人がいると思って何とぞ勘弁願いたい。
実は私は最近より、直心影流の法定の形を稽古し始めました。この流派には他流試合も段位も称号もない。ただ在るのは氣・心・肚に重きをおき、一念一念を正念とし一切の雑念を交えず、この正念を相続ける修業だけしかないのです。
わざの良し悪し、あいつは強いとか弱いとか、勝ったとか負けたとかそういうつまらない、らちのあかないことはどうでもよい。
ただひたすら一心不乱に打ち掛かり、相打ち合体の剣を説く。心の動揺とか四つの戒め(四病)をサッと払い捨てて自由自在な心の動きが無心となり、そして何もない心となり、遂には強い心となる。
打とうと思わずに打つ心、つまり無心の打ちを出すことができるようになる。
松岡さん、やまいを治そうと思わずに無心でとりくめば自ずとよい結果を呼び込むと思います。かねてより松岡さんの剣風は直心影流の剣法だとみていました。
無の心 攻めて丹田 氣のこころ
来る気配 無心でかわす 稲光(やいばかな)


2003年9月30日
拝啓 コスモスがさわやかな秋風に揺らいでいます。いつもの年のように秋がやってきました。

先日、京セラの名誉会長稲盛和夫の講演会に臨みました。その中で、人生の道場でおのれの魂を美しく磨きおのれの心を強く磨くことにより、如何なる試練をも感謝の念で迎え入れることが出来るのではないかという話を聴きました。
松岡さんは剣道場でいつもおのれの魂と心を一心不乱に磨いていられたように、わたしは見ていました。
わたしもそれに見習って剣道の技だけではなく魂と心をしっかり磨くように明日から勉めたいと思うのです。
コスモスは 居つくことなく 身をさばく
アメンボウ 浮き身のさばき 師と仰ぎ
そぶりなく 舞い立つ鳥や 今朝の秋
敬具


2003年10月9日
拝啓 武道館の四階の窓から見下ろす公園の樹樹がうっすらと色付き始めました。居ながらにして移り行く紅葉ばの一部始終を観察できる幸せを噛み締めながら稽古が出来る身を喜ばねばなりません。わたしは憂き世の移ろいを極く自然な姿で感じ取り、いたずらに感傷に耽ったりしています。
先だって、久田さんに逢った折り今度五段に挑戦するのだと随分意気込んでいられました。受けるからにはヤル氣満々の闘志を現さないと、審査員に全て見破られてしまうのだとわたしへの忠告をも戴きました。
その時はやはり、久田さんはお若いなあと感心した次第なのです。わたしが剣道をするのは決して、打ってやろうとか勝ってやろうとか昇段してやろうなんていう世俗的な埒のあかないことを目当てとはしてないと自分に言い聞かせているのです。こんなわたしは間違っているでしょうか、松岡さん教えて下さい。
コスモスの 花影に潜む 気配かな
キンモクセイ 色香漂う 気配知る     敬具



2003年10月28日
拝啓 武道館の四階の窓から伺う樹樹の紅葉の度合いは日ごと深まってきました。窓を開けると冷気と共に小坂小学校の児童たちが口ずさむ合唱曲の音色が風に乗ってはづっんでくる。清々しい朝の一時、このようにして今日も、一日が始まる。縮みゆく体力と気力に活を入れるべく道場を走ったり四陣を踏み法定の形を演じてみる。有らん限りの声量でヤエイの発声は気持がよい。雑念という雑念を全部吐き出してしまう。しかし、松岡さんわたしは駄目なのです。というのも、剣道をする自分、剣道を稽古し修行する自分。そういう自分を意識し、そういう自分に得心し満足している。自分という自我を肯定している限り、本物の剣道ではない。自分という自我を捨て去り殺し、否定し切らない限りほんまものの剣道にはならないと考えています。松岡さんいかがなものでしょうか。
剣の道 行くあても無く 名の樹枯る
弱気をば 強気になさんと 神遊び
能なきと 技無き我を 秋愁ふ       敬具



2003年11月23日
拝啓
今年の紅葉はさほど美しくありませんでした。石田さんも医者からドクターストップが掛かったらしく剣道から身を退きたいとあの方らしくもなく弱音をもらされました。
晩秋の風情通り道場も寂しくなるようです。実を申しますと先だって五段審査に挑戦しましたが案の定駄目でした。総選挙で民主党が政権奪取に失敗したとおりわたしも“やっぱり駄目”でした。立合いの相手は城川さんと久田さんという皮肉な巡り合わせでした。一本も打ち切った捨て身の面技が出せませんでした。近間での無駄打ちが目立って非常に浅ましく見苦しい限りでした。更にわたしには不用意にも剣先を床に落とすという悪い癖があり、これでは昇段はまったく覚束ないことは誰の目にもはっきり判ることなのでした。わたしも剣道から身を退く寂しい時が近付いたことを感じたわけです。反面、今此処で身を退けば自分は何もかもに完全敗北してしまう。迷っています。松岡さんならどうされますか。
剣の道 往くあても無く 名の木枯る
この道や 未練残して 落ち葉舞う       敬具