下手糞老いぼれ剣士の独り言

ランニングのこと

額谷ふれあい体育館、午前9時開館と同時に無人のフロアをひた走る。
走るといっても軽きジョギングに過ぎないが、いわゆるナンバ走法にこだわりながら試みる。
でも、それによって歩幅を大きくしょうなどという魂胆もなく目論見すらない。
両足に加重と抜重の感覚を意識的に教え込み、両腕の動きをナンバ流に連動させながら無理なく体重が前方へ移動することを実感する。
但し、両踵は軽く浮かすことを強いる。決して、踵の着床はしない。従って、足音はさせない。
それによって靭帯を鍛え、体重を支える足のバネを補強する。
打突に際し左踵が居付いては話にならない。しかし、加齢と共に、わが踵が時ならずもべったりと床に接触していることに気付いた時ほど著しい幻滅感におそわれることはない。
館内の四つのコーナーを廻るのでなく、直線コースで壁を前にターンを試み折り返すのです。
バランスよくスムーズに回転すること肝要であり、体捌き足捌きの一助となろうことは言を待たない。
どっしりした構え、重心が大地に吸い込まれる如き安定感の基はなんと言えども脚力だろう。
武道に限らず各種スポーツにおいてフットワークこそが肝要でとりわけ腰の据わった勇姿には感動を覚える。今は無き朝青龍関ほど恰好の人物はいない。
槍投げ選手の投擲の瞬間を捉えた写真からも如何に下半身の充実した筋肉の躍動美をうかがい知っても脱力された肩の付近には些かたりとも力みを見い出し得ない。
其処から学び取ったイメージトレーニングとして、正面打ち打突の瞬時において右足裏からの鋭き着床音と左足引きつけと同時併行して腕力に頼ることなく振り抜かれた剣先から噴出する全エネルギーをしてより的確に、より強固に相手の打突部位に届かすかにかかってくる。
振りぬかれた全エネルギーが、如何にスムーズに肩・肘・手首の各関節部に伝播して先革が鞭のようにしなやかに鋭く倍加しながら飛ぶかにかかってくる。
つまるところ、上虚下実の教えの通り上半身はリラックスさせるが下半身とりわけ臍下丹田(気海丹田)に気力を充満させ足で打ち・腰で打ち・腹で打たんがための自分流トレーニングに他ならないのである。
他人にとやかく言われる筋合いの事柄ではない。己が納得し得心を得ればそれでいい。
下手糞老いぼれ剣士の意地であり心意気なのである。