老いぼれへぼ教師の回想記《15》

二人のこと

 私にとって最初の卒業生は下田俊勝と中村利雄の二人以外にはいない。共に支え合い励まし合いながら切磋琢磨した間柄だっただろう。ある時には共に手を取り合って歓び、また義憤の涙に暮れたこともあったろう。
 男同士の二人は友人であり仲間であり同志でもあったろう。謂う所の好きライバル同志に違いない。お互いに相互を意識しあい、良きにしろ悪しきにしろ終始、影響し合った事でもあろう。
 私は今でも、あの場面でのあの光景を忘れることはない。私の教卓の前に二人の机が並んでいた。教科は忘れたが、多分数学か英語であったはず、私の質問にTは難なく答えた。横のTに同じく尋ねたが、難解だったのかTからは暫し返答がなかった。
Tは大きくわが目を見開いたまま私を凝視していたが、間もなくして彼は大粒の涙をとめどなく頬を伝わせたのだった。拭おうとする素振りは微塵足りとも示さなかった。
その涙は何を意味したのか。私には痛いほどその心中は窺い知り得た。二人は競って猛然と勉学に勤しんだ。
二人は難関市立工業高校定時制へそして全日制金沢高校へ見事進学を果たしたことは何を物語るのだろう。
とは言うものの、この硬直した幾ばくかの時の経過の後TがTにヒントを授けるという行為により、緊迫した場面は解消した。新米の私には逸早く適正な処置を執り得なかった事を極めて情けないこととして今以て悔いている次第なのだ。


 下田俊勝君が先に逝ってしまった。
還暦を迎えるやいなや、これからというときに早すぎたお別れであった。
加賀電子に入社し、当時にしたら最先端技術の真っ只中を切り開いた人物に他なかろう。
当時、疎開モンと呼ばれた。卒業の祝いに一握りの干した薇を母子共々お揃いで届けてくれたことを鮮烈に思い出す。
新聞紙に包まれた掛け替えのない誠意の結晶を恭しく拝み取った。
卯辰町の山間にあった静居を訪ね、焼香をさせていただいた。
                               合掌



利雄君お元気ですか。
あの冬の雪原にて君の背中に背負われて宿舎まで届けてもらった遠い遠い道のりを忘れはしません。
君の広く逞しき背中の感触とともにやはり忘れ難き思い出です。
風の便りに何かいいお話ありましたら是非聞かせてください。