下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《16》

なでしこジャパン魁皇関も徹底した勝負への執着心が見事に結実し、前人未到の金字塔を打ち立てた。
勝利を一途に追及する健気な姿からは多くの国民は感動をいただいた。
すがすがしい清涼感をいただいた。
処が、人の命の遣り取りをする剣術ではそんなわけにゆかない。とにかく勝てばいいのだと手段を選ばずに戦えば命を落とした相手にこれほど失礼なことはない。無礼を許さぬ武士道に反するのです。
夕雲は、此のことを畜生剣法として蔑んだ。
なお、文中の空き巣狙いとかシーソーゲームやもぐらたたきの表現は下手糞老いぼれの拙者ですので誤解なきよう願います。 



大森曹玄は夕雲をどのように観察し評価したか(1)


大森曹玄禅師は臨済宗天龍寺管主花園大学の学頭を務められ、また山田次郎吉先生に師事され直心影流を極められた著名なる論客でもあられる。
ご自身の著書「剣と禅」の中で、夕雲流剣術について次のように論述されている。
平易な言葉で端折って表現すれば、相手と自分、敵と我という二人の間柄においては、どちらかが強ければ他方は弱いことになる。
強い方が勝てば弱い方が負ける。必ず、二つの内のどちらかに決まる。
真剣を用いた勝負なら、勝った方が生き延びるが負けた方はその場で絶命してしまう。
当り前の道理である。彼我が対立すれば、雌雄を決する真剣試合が執り行われて、自分よりも弱い相手には勝てるが強い相手には負けてしまう。力が同等の相手とは相討ちにもっていくしかない。
飛んだり跳ねたり、あたかも虎か狼のように畜生同然の本性をさらけ出して挑みかかる。
隙あらば打とうと、まるで空き巣狙いのようだ。もぐら叩きのような、シーソーゲームのような仕草は見苦しい限りで人間のする技ではないと夕雲は指摘したのだという。
これを、畜生心に基づく畜生兵法・畜生剣術として夕雲は蔑んだわけだ。