下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《17》

無住心流剣術を編み出した針谷夕雲は、守破離を地で行った人だ。
事もあろうに、流祖上泉伊勢守信綱のみならず師匠小笠原源信斎をも否定し、それを乗り越えて前代未聞の独創的剣術を創造した。
今日謂う所の「応じ技」をも拒絶し、ただ只管「相打ち」技に終始徹底し、遂に挙句の果てに「相抜け」技に到達した。
考えてみれば、此の人物ほど単純明快なる剣客はいない。



大森曹玄は夕雲をどのように観察し評価したか(2)

相手の打ちを、外したり、躱したり捌くことすら拒絶し、挙句の果てには、事もあろうに上泉秀綱や塚原朴傳、更には夕雲にとりては自分の師匠にあたる小笠原源信斎までをも畜生剣だといって否定してしまった。
これまで日本国にあった剣法・兵法の類いは、皆ことごとく妄想虚事に過ぎないと断言し切り捨てた。
そして、独自の夕雲流剣術を編み出し、また夕雲が深く信心し信頼した虎白和尚からは無住心剣術命名してもらったのだという。