下手糞老いぼれ剣士のルーツ《18》

未熟に付き画像添付の操作いまだ為らず、口惜しい限りなり。
憚りながら、われはわが両親はもとより祖父母の歳をも凌駕してしもうた。
祖母への面影は微かに残る。今日ある、わが身の成り立ちのもといとなる為ばーちゃんなのである。




その二  高橋 爲(1)

 祖母の名は爲という。本多町の吉見家より勝太郎のもとへ嫁いた。
戸籍の上では、明治三十三年一月とある。父忠勝が同年の六月に出生しているので、祖母爲は胎に実子を身ごもった証で高橋家へ入籍できたこととなる。
明治六年生まれの爲にすれば二十七歳での初産となろう。
 爲バーチャンの記憶はかすかに残る。齢三十五歳のわが息子忠勝からの初孫なるプレゼントで爲バーチャン自身、この上なく嬉しかったのだろう。
 爲六十二歳の時で十分に察しがつく。
斯くなる経緯からして随分と可愛がられたのは事実だ。
 母親以上の溺愛の波に持て囃されたことを、薄ぼんやりと思い出す節があるのだけど、それというのも当時のスナップ写真の範囲内のことで、それ以上の記憶を蘇生させる術はないのである。
 池田町の借家の狭き背戸の一角で撮られた一枚は、多分父の友人であった織田英三氏が写したものに違いが無い。
 我がアルバムには夥しい七〇年の時の経過を如実に物語る古びた色に変色する印画紙を見出すのである。小さき石燈篭と椿の木の植え込みの前で爲バーチャンと一緒に納まっている。  
 祖母手編みの毛糸の上下を着て尻あたりが膨らんでいるところから察すれば誕生過ぎで一人歩きはするもののまだオムツを放せなかったのだろう。二階の座敷の床柱を背景にした一枚もある。
裏には父が万年筆でしたためた撮影データーの文字は無かった。