老いぼれへぼ教師の回想記《39》

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“めだかの学校の生徒たち
誰が生徒か先生か・・・
みんな元気に遊んでる“
 
何と長閑でこころ和む雰囲気でしょう。
このような牧歌的情景を誰しもこころの
片隅に大切にしまってはいまいか。
 
わたしは無上なる果報者だ。
この世知辛い世にあってなおのこと。
 
 
 
 その四  鳴中や 通り過ぎたり 駆け足で(1)
 
 
昭和五十一年度生(上) 
 
 ベトナム戦争終結の年であり周恩来毛沢東両巨星が堕ちた年でもある。当時、尊敬に値する松永一雄先生から高橋君おめでとうと唐突にも言われたことを今でも忘れない。私が一年間手塩に掛けてリーダーとして育て、囲ってきたAくん・Oくんの両名が君のクラスに在籍している。クラス経営は任せば良い。よかったねえと言われたのだった。あたかも当たり籤か当たり馬券を引き当てたかのように聞こえた。
 間違いなく彼らは私の右腕となってくれた。AY君はクラス会長としてまさにリーダーとして、六十年後の今日まで学級会を取り仕切り見事に君臨している。随分長命の駿馬だ。
 五年を区切ってみんなの動静を確認し再会の歓びを分かち合う。
 五年間で一つ歳を取る。従ってみんな若い。歳を取っていても、歳を取らない人のように若い。私もあやかってそうありたい。
 五年周期がおもしろい。むかしソ連邦に五か年計画という言葉があった。人それぞれ生きる上で目標を掲げよう。
 目標達成に一か年では少し短い、十年間は長すぎる。五年間が丁度よい。
 クラス会参加のみんなも新たな目標を胸に秘めたろうと思う。五年後の次の二〇一五年(平成二十七年)の再会を目指してそれぞれの道を歩む。目標と共に歩む。
 
偉大なる人格者でいらっしゃった教育者松永一雄先生はもうずいぶん前に他界されて久しい。
ご冥福を祈ります。