老いぼれへぼ剣士の夕雲考《39》

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禅師直筆による「鉄舟会禅道場」の看板が架かる高歩院の玄関先
 
金沢在住の桐田修男氏は鉄舟ゆかりの高歩院にて、大森曹玄老師から直心影流の何たるかをつぶさに伝授された県内では稀有なるお方である。
高歩院は、山岡鉄舟の本名高歩 ( たかゆき )から命名されたという。
昭和18年に臨済宗天龍寺の別院として鉄舟邸の跡地に建てられた我が国最小の禅寺だという。
戦後昭和22年に、曹玄老師は第二代目住職として高歩院に就任された。
老師は直心影流の修行の傍ら、鉄舟精神の継承者としてベトナム戦争の和平協議に尽力されたり、遺骨収集に携われたり、あるひは禅の国際化取り分けカトリック教の神父さんとの親交を深めたりして国際理解と国際平和の推進に大きく貢献なされたのでした。
此の師桐田氏と『法定』を打つことがほぼ日課となってしまった。
清浄の水がこころに流れるのである。充実感を味わうのである。
 
まとめ(4)=その2 

 
 
 ⑦ 厭きることなく繰り返す闘争の歴史を見るにつけ翻って一切の勝負事を度外視し超越した所に闘争心無き自由な絶対平和なるものが必ずや存在することを予言された。
 共倒れで両者ともに死に至る「相討ち」を畜生同然と蔑み、打ち合う両者ともに生還する
 信じ難き剣法・兵法を編みだし「相抜け」の極意とした針谷夕雲と小出切一雲の両名を意識した事に他ならない。
 大森曹玄は「相抜け」を評価したことになる。