新幹線の旅≪8≫

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東京メトロ丸の内線に乗り中野坂上駅に向かった。


駅員に「高歩院」の在り処を質したが解からないという。


住所を示すと地図が宛がわれ其れを頼りに捜すが解かり辛い。


道行く人に問い質すが何方も知らないという。


山岡鉄舟所縁の道場だというが誰も聞いた事もないという。


狭い小路が込み入り此の一帯は下町風情そのものだ。


所々に長妻昭さんのポスターがえらく目に付いた。


そのポスターの翳に現われた石段を登りつめると漸くにしてお目当ての目的地に辿り着けたのです。


わたしは決して鉄舟先生の無刀流剣術や禅や書の修行に帰依した者ではない。


此処「高歩院」に縁なき者が何ゆえ斯くも拘るのかと云えば数年以前にわたしは桐田英男氏より直心影流正伝の「法定の形」を学んだことがある。


 その縁で東京の中野区の一角に潜む此の地に拘泥してしまった。


 間々接的に過ぎぬにしてもやはり此のわたしとて羨望の念を燃やすのです。


 


その桐田氏は此の「高歩院」にて大森曹玄禅師より直伝を授かったのだという。


 


そして、その大森禅師が得度を受けたのが天龍寺貫主の関精拙禅師であった。


その関精拙禅師が嘗ては山岡鉄舟の住まう大邸宅の庭園「成諏園」を貰い受け鉄舟の幼名「高歩(たかみち)」に因み「高歩院(こうほいん)」の寺号を持つ禅寺を建てられらしいのです


鉄舟の守護本尊―聖観世音菩薩像を祀っているのだという。


関精拙亡き後大森曹玄が此処「高歩院」の住職を継いのだという桐田氏のお話しでした。


明治維新の立役者鉄舟の旧邸跡ではあるが今や民家が犇めき合って建ち並ぶ。


「高歩院」そのものも意外とこじんまりとした佇まいだ。


わたしが遠路わざわざ参上したその日は無人の館でした。


極めて残念としか言いようがない。


せめて、座禅を組み書を嗜み「法定の形」を打ち合う裂帛の気合いを是非見学したかったのです。


返す返す残念至極に存じます。