老いぼれへぼ教師の回想記《44》

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我らの近隣の地に「六水会」と称する剣道サークルがある。
剣道をこよなく愛する同好の士が奇数土曜の夕刻七時過ぎに三々五々相集い汗を流す。
六七段の高段者はもとより、中堅どころに混じり新進気鋭の学生諸君らも仲間入りする。
実に顔振れは多士済々だ。
剣の実力も多士済々だ。
よぼよぼの爺で不甲斐ない存在とて、みな仲間入りが適う。
道場の雰囲気が、長幼の序なるものをちゃんと弁えている。
年寄りであるという只それだけの理由で、上座に迎い入れられ、終われば即座に着座し頭を下げられる。
こちらが、とても煙たいのである。
痛く、恐縮してしまうのである。
余りにも恐れ多いのである。
分相応に扱われる方が、ずっと気楽で良いのだがなあと考えたりもする。
もっとも最近は、お稽古の前に自分一人で前座を相務め、鏡の前で素振りや居合を抜いて終えているわけなのです。
「六水会」は天下一なり、日本一のサークルなのです。
これは、決してお世辞やおべんちゃらではない。
 
その四 鳴中や 通り過ぎたり 駆け足で(5)
 
剣道との出会い(中) 

 
 
 私も引き攣られたかのように、防具を着装し先生へ掛かっていた。
剣道をおのれの体内へ同化させるにはいま少し時間を要したが、教士七段はずぶの素人にも拘らず真剣そのものの気迫で私に応じてくれた。
相手を打倒するに非ずして、奥義の活人剣の何たるかを先生は身を以って私に示して下さった。
剣道の虜となる切っ掛けをこの両人から戴いた。
 
おのれの唾をおのれの足に摺り込んだ大胆不敵なる人物は、云わずと知れた今や国政の中枢で日本国の舵取りに勤しんでいられる中堅代議士なのである。
同じく、同じ道場の床を踏んだI君」とO君は地元教育界にて大成され、今日も活躍なされている。
 私の居住地に隣接する 野々市町 に剣道の同好の士がつくる『六水会』と称するサークルがあり、たまたま人に勧められ会員となった日、初稽古に際して何と其処でO君と四十数年ぶりに再会したではないか。