戦後の民主主義を頭から否定され暴力行為を全面的に肯定された。
一方男女同権とか子供の人権あるいは優しい家族関係、更には平和主義思想をも無視し、否定し去るという典型的な戦前志向の人物であったのだという。
ところが此の主人公は、強きをくじき弱きを助ける美談の中で存在感をアピールした。
結末は、云うまでもなく「無私」と「自己犠牲」に彩りされたまま最期を迎えるのである。
片やもう一人、針谷夕雲は「相打ち」を極意の技とし刃挽きで以って人をぶった斬る程の暴力的畜生剣の主であった。
それが晩年には前代未聞の画期的な「相抜け」の極意技を成就させた。
明らかに、そこに「無私」と「自己犠牲」の精神なくしてあり得るはずがない。
両者には相通じるものがあるようです。
まとめ(6)=その2
痛快なるランドセル現象と重なり、猶の事ちぐはぐな違和感を拭い難いのである。
此の稚拙なる頓珍漢なオツムの程度をどうぞ笑ってやってください。
従って、これは二番煎じにすぎないのです。