うらなりの記《50》

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玉川図書館の近世史料室には藩政期の前田家家臣団の動静が斯くも緻密にしかも的確に記録保存されていようとは知らなかった。
ちなみに、父方高橋家は足軽分際であったが故に、その記録は何処にもなかった。
あるはずもなかろう。
自分の身の回りのことですら、未知の世界が多過ぎます。
生ある間にやれる事はやらねばなるまい。
如何に、取るに足らぬことでも下らないことであってもですよ・・・
 
 
その四  母とし(5)
 
津田家の人たち=その4
 
 
この史料は玉川図書館の近世史料室にて諸士系譜第十巻より検索したものである。
此処で最大の関心事はこの史料に見る津田清三郎近猷なる人物が、津田家の最古の戸籍謄本上にみた津田近吾の父津田清三郎と確証を以って照合するや否やということになる
諸士系譜で清三郎近猷に関する添書きとして、文政三年(一八二〇年)十二月十六日に父金太郎近義の石高の三分の一を相続した。
文政七年(一八二四年)閏八月十三日同年に御馬廻りになる。
天保六年(一八三五年)二月二十三日に表小将(表小姓)となる。それ以外の生没年、住いや家族のこと等には一切触れられてはいない
もう一点、諸士系譜には名前の後にもう一つの名前近光とか近猷、他には近智・近義が二つ・近英と極めて高い頻度で出てくるのである。
そして、津田家謄本には津田全の祖父弘化二年(一八四五年)生まれの津田近吾が厳然と存在するのだ