うらなりの記《51》

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昨日は大阪の息子夫婦と孫たちを伴って、雪の野田山墓地にて母としと父忠勝に正月の挨拶をかわした。
母としの血筋を辿って、いつの間にか見知らぬ世界に迷い込んでしまったことを報告してきた。
母は、そんなことをしたって何の足しにもなりませんよと、やさしく微笑み返したような気がした。
 
 
その四 母とし(6)
 
津田家の人たち=その6
 
津田家謄本には津田全の祖父弘化二年(一八四五年)生まれの津田近吾が存在しました。
その津田近吾の墓石が妙典寺にはちゃんと建っている。
想像の域を出ないことだが、清三郎近猷にとっては四十歳台の比較的晩年になってからの跡取り息子たる近吾の誕生を迎えることとなりはしまいかと思いを巡らすのだ。
従って、津田清三郎と津田清三郎近猷の両者は限りなく近似すること多く九分九厘の割合で同一人物と言えはしまいか。
やはり、妙典寺の庫裏に籠城し長期間を厭わずに過去帳と格闘する覚悟が必要なのだ。百%の確証を得るにはこれしかないのである。