老いぼれへぼ剣士の夕雲考《50》

イメージ 1
相抜け…勝負なし
 
夕雲流の『相抜け』の技を誰も見てはいない。
今日まで秘技として伝承されたものも何もない。
刃挽きでぶった斬るほどの剣客ならみな恐れをなして立ち竦み、斬り合うまでに至らなかったのだとか、また両者対峙したまま剣先の争いに終始し勝負は引き分けに終わったのだとかいろいろ言われている。
わたしが思うには、一刀流の切り落とし技が彼我共々物の見事に同時に成立したのではなかろうかと思ったりした。
また、日本剣道形四本目の両者真向より切り結んだ状態のようにも思えるのだが・・・
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(5)
 
針谷夕雲のこと=その5
 
 
夕雲は通常の兵法を離れて、勝理を明らかにした。
つまり、勝ち負けを度外視して拘(こだわ)らず、本当の意味で勝つことの理(ことわり)を明らかにしていった。
刀剣による勝負より心胆による勝負を説いた。
人性天理の自然に安坐するところに剣の理を見出し「相抜け」と称した。
夕雲は弟子2800名を数えたが、相抜けを成就したのは四名に過ぎなかった。
その一人が小出切一雲に外ならず、この一雲の弟子に真里谷圓四郎義旭と並び高田能種(源左衛門)なる人物がいて能種(よしたね)は「神之信影流」を起こした。