うらなりの記《54》

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叔母の思い出で重なり合うのがラーメンの味です。
早道町の住まいへ顔を出すと、その都度美味しいラーメンが振る舞われたことを思い出す。
近所の“お多福”から出前を頼んでくれるです。
特注のバターラーメンで、その上にもう一つ特上のバターの隠し味が加わり顎が落ちる思いだった。
当時にしてみたら、とても豪華で贅沢すぎる御馳走であった。
いくつになっても、マーチャンまーちゃんとよく声を掛けられたものだ。
 
その四 母とし(9)
 
津田家の人たち=その9
 
 その叔母、津田紀子(みちこ)は東京市牛込区辨天町の伊藤家から嫁いだ。
都会育ちの洗練されたセンスの持ち主であった。
歯に衣着せない物言いでずばりと痛烈なる指摘を受けたものだ。
幾度となく赤面の至り、冷や汗ものの体験を思い返すのである。
私にはとてもおっかない叔母であった。
 この叔母の実兄、伊藤武雄氏は金沢大学法文学部教授でドイツ文学の権威であった。
 授業ではドイツ語以外の言語は用いずとても厳格な先生で在られたそうだ。
  金沢市 長選挙で革新政党より推薦を受け現職市長岡良一と競い合った経緯もある。