うらなりの記《60》

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 初道茂樹氏とは高校同期である。教職の身で在られたことは窺がってはいたが疎遠の極みであった。
 その彼と、六十年振りの再会であった。
 何と、叔母の家の真ん前に初道宅があったというわけなのだ。
 独居の身を囲っていたわたしの叔母を案じて、家庭菜園で採れた四季折々の野菜類を初道氏はその都度届けてくださった。
 こころ温かい健気なお方である。
 改めて、故人に代わり御礼申します。
 
その五 母とし(15)
 
 
村本家の人たち=その4 
 
 その後、つつじヶ丘地内に自宅を新築され住まわれた。
 叔母三枝は実に赫灼たる態度で余生を享受されていた。
海外旅行やヨガなどに余念がなかったのだが皮膚移植に起因して、それが悪性腫瘍に転移し、実に敢無く他界されてしまわれた。奇異なる病名で神経内分泌癌であった。
余りにも元気そのもののお姿から人の命の儚さを痛いほど思い知らされたのだった。