老いぼれへぼ剣士の夕雲考《71》

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白井亨(・・・)
 天真一刀流の妙手白井亨は針谷夕雲の大フアンであって、小出切一雲の書いた『夕雲流剣術書』を貪って愛読していたとは、何とも微笑ましい。
 その白井亨が所持する愛蔵本の写しを、今わたしたちが直に目にしているとは、これまた驚きの一語だ。
 剣の道を志した端くれである以上、白井亨さんの事をもっと勉強しなくてはならない・・・
 
 白井亨は1783年から1843年の人である。
 実は、1841天保12年の年にオランダ船より始めて写真機が島津斉彬の下に献上されたのだという。
 従って、ここに掲載する写真は年代的には辛うじて符合することになる。
 尤も、その当時の露出時間は三十分であったのだという。
 不鮮明なる所以なのだろう。
 
 
一雲の書いた『夕雲流剣術書』のこと(2)
 
 
 なお、わたしの此の拙い文は、昭和54年に(株)東京コピー出版部が発行した渡辺一郎編の「武道の名著」の中に掲載されたものを全面的に参考にし依拠している。
また、その実体は筑波大学付属図書館蔵の『夕雲流剣術書』を底本としているのであり、更に、その底本の曰く因縁を探れば次のようになる。
 即ち、これは体操傳習書の購入本である事と、そして当時下谷長者町にあった薬種商長崎屋の主人で、国学者の山崎美成なる者が (なか)御徒 (おかち) (まち)に住む天真一刀流の遣い手であり針谷夕雲の信奉者でもあった白井亨から借用したものを書写したものであり、内閣文庫本と合致するのだという。
 なお、内閣文庫本は現在内閣府所管の独立行政法人国立公文書館に移管され、同館が所蔵しているのだという。