老いぼれへぼ教師の回想記《88》

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              表面がセラミックでコーテイングされた熔鉱炉の内部
 
企業見学レポート=その8
 
4 新日本製鐵株式会社名古屋製鉄所(1)
 
 名古屋港東岸に面した埋め立て地に187万坪の広大なる敷地を誇る。
 一昨日のトヨタ自販の名港埠頭とは目と鼻の先だ。
 前身は昭和33年設立の東海製鉄であるが、42年に富士製鉄と合併にいたり昭和45年に新日本製鉄名古屋製鉄所として新たなる発足に至った。
 先ずは、鳥井庶務課長より国別粗鋼生産でアメリカ合衆国を、新日鉄自身もUSスチール社を凌駕し名実ともに世界のトップに躍進したその背景について多面的視点で捉えた解説をいただいた。
 戦後の復興策として基幹産業への梃入れを最優先課題としたことと、やはり朝鮮戦争が契機付けとなり積極的技術導入がなされ、それに伴う大型設備投資が高度経済成長への足掛かりとなっていった。
 1960年代に入るや高度成長の度合いも一段と増し、欧米の先進技術を経営基盤の中に定着させ見事に開花させて飛躍的な前進を遂げたのだという。
 導入された先進技術を使いこなす為の自主的努力や創造的意欲は、他国では例を見ない応用能力の高さを誇示した。
 内需と輸出の伸びが順調であったことも見逃せない要素であった。
 石油危機は大幅な需要減、延いては生産減と収益減が余儀なくされた。
 懸命な原価削減のための企業努力が省資源、省エネ、歩留まり向上、省工程、省力化の各分野において展開され、その即効性たるやまさに目を見張るものがあったのだと説明は続く。
 鳥井氏は、最後に高福祉社会に対応した今後の在り様として船舶や車両等の関連企業への技術指導で以って、鉄鋼への多様化するニーズに応えられるようにいたしたい。
 更には、中進國や後進國への技術指導を通して国際的な拡がりを大きな命題として取り組みたい。
 取り分け、中国市場を意識せざるを得ない事を殊の外強調なされていた。