老いぼれへぼ剣士の夕雲考《85》

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                 石舟斎役にぴったりだった故藤田まことさん
 
夕雲流剣術書       小出切一雲 誌(11)
 
上泉の直弟子たち
 
の2【柳生は當御家へ召出されて、此亦弟子の中に品々の所得ある者出で、流の名を改て樣樣にあつかう、】
 
口語訳
 
 言うまでもなく、この柳生石舟齋宗厳は上泉信綱の新陰流の正当なる継承者として跡を継ぎ柳生新陰流と名を改めるのである。
 また、石舟齋宗厳は家康と立会い無刀取りにて破り、その折剣道指南役の要請があったのだが辞退し、代わりに五男の但馬守宗矩を推挙した経緯で江戸幕府との深い関わりを持つに至った次第なのであります。
宗矩の長子、柳生十兵衛三厳は柳生の里にて新陰流の道場を開きました。
更には、石舟齋宗厳の長男厳勝の次男に柳生兵庫介利厳がいました。
この利厳は尾張徳川家の兵法指南役を相勤め尾張柳生家を継いだわけなのです。
 
 
なお、渡辺一郎氏の原著の頭注部分を大いに参考に致しております。