うらなりの記《88》

イメージ 1
 
母への想いー(3)
 
『母の思い出』
 
②派手好みで好き放題な仕草で、当時としては格別のゴージャスな生活振りをわれらに誇示したのだった。
 それに引き換え我が家は教師をする父親の薄給もさることながら、一家五人には極貧生活が強いられていた。
 当時の食糧事情の中毎日が飢餓の連続であり、わたしの体の発育が極端に悪化の道をたどり三年生の折には校医の先生より栄養失調の診断が下りていた。
 当時の通知簿が無言でそれを物語るのである。
身長一一九・0センチ、体重二〇・四キログラムとある。憐れさや惨めさを通り越して不気味ささえ感じる。