老いぼれの弓事始め《9》

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弓事始め
 
⑦ 6月一日大的大会開催
 直径一メートルに及ぶ大的を目の前に置いて、得点力を競い合う試合形式の大会が早々と催された。
 主催者側が良かれと計画為されたそのご好意には感謝すべきとは思う次第ではあるが、わたしは疑問視せざるを得なかった。
 弓を持つこと数回で弓のゆの字も解らぬ者にはナンセンスだと思う。
 剣道範士小川忠太郎先生は、初心の者に試合を強いて勝負を競い合わせることには百害あって一利なしとその弊害を強調なされていた。
 時代の風潮と云おうか幼き頃より他人と競い合い優劣を決することに興味と関心を寄せる。
 勝負することにより興味と関心を持続させようと安易に判断しているのかもしれない。
 勝ち負けにだけ ( こだわ )った矮小 ( わいしょう )な人間を育てはしまいかと大いに危惧する
 
礼記―射義―
に曰く。
 
射は仁の道なり。
射は正しきを己に求む。
己正しくして ( しこう )して後発す。
 
 己正しからざれば弓を射る資格がない。
 的に矢を射ることも大事だが、射以前に大切なものを是非授けて戴きたい。
 わたしには、そのことが本望 ( ほんもう )なのです。
 
 大会終了後、表彰式まで執り行われたが、最後の最後に至り講師の先生は、本日は苦杯をなめ戦績 ( かんば )しからざる方々へのはなむけの言葉として、地道にして健気なる下積みの道を歩むことこそ大事であることを訓示された。
 弓道の本道本質を端的に表明されたものだとわたしなりに解釈した。
 この〆の言葉で以って救われたのでした。