<リスクを恐れず敢然と挑戦するサントリーへの一考察>
2 純生にみる側面
気の抜けたビールのような古臭さがあって興ざめなのだ。
昭和38年には既に寡占状態のビール業界に敢然と新規にエントリしていった。
無謀すぎる暴挙だと指摘されながらも『やってみなはれ』の言葉通りテンパーセントのシェア獲得を五か年計画の下で達成するのるのだという極めて強気なるデビュであった。
無論、綿密なる市場調査に裏付けられた確固たる信念に基づくことではあったろう。
しかしながら、無惨にも惨澹たる結果・・・くる年も、そのまた次のくる年も・・・
恐らくは、サントリーが非上場企業なるが故に許されたことに違いない。
しかし、この日本人離れした常識はずれの執念の因って来る源は一体なんだったのだろう。
デリカシーな味覚を云云する割りにはラガー一辺倒であり、ドイツ風の苦味に画一化されたまま何らの抵抗感すら持ち合わせない。
佐治社長の眼光は、此の一点に据えられたまま、終に北欧の地にてカールズベルグに遭遇するのである。純生の誕生なのである。
昭和42年、シェアは3.2%と凡その倍増である。
そして、この北欧の味を唯一絶対だと信奉し、日本人をして味覚選択の上からも自由人たらしめんと孤軍奮闘したのである。
これは、まさに純生文化創造へのもがきにも似た挑戦だと受け取れよう。
生活文化企業を志向するサントリーならではの納得される回答だと思えてならない。
なお、昭和55年度においては7%の大台に乗せ、漸くにして軌道に乗ったかの感もするが、しかし相も変わらず採算を度外視する体質には変わりはなかった。
既にキリンに次ぐ第3位のシェア=金麦、ザ・プレミアム・モルツが大健闘