老いぼれの中国紀行《11》

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中国紀行
 

 ⑪ 毛語録を高々と掲げ人民公社の旗の下、マルクス・レーニン主義を声高に謳歌しながら搾取なき共産主義国家を建設したかに見えたのも束の間、中国民衆のエネルギッシュな無言のうねりは文化大革命の嵐を惹起せざるを得ない必然性を秘めていたのでした。
確かに一見、再確認されたかに見えた毛沢東指導体制はいっとき磐石の備えを新たしたかに思えたが彼の死後、じわっと染み出る民主化の魅惑的な匂いを嗅ぎつけた民衆はいつしかそれを催促することを自覚し、怒涛の波となり国家権力へ向かって押し寄せた。
 
全世界が固唾を呑んで見守った天安門での出来事はかくして起こった。かくして脆くも毛体制は崩壊した。
 改革開放路線は雪だるま方式に膨張拡大し、いまや純粋な共産主義国家の中で純粋培養され、見事凝縮されし巨大な資本主義国家の姿を露呈するにいたったのである。
幾多の国内矛盾を内包しながらとはいえ、押しも押されもしない核大国であり世界第二位の経済大国に伸し上がってしまった。

 もはや何処の国家たりとも、この中国の存在を抜きにして自国の国益を論じ得ない程に国際情勢は急激に展開した。
アメリカ合衆国を始め世界各国が強かな外交手腕を駆使して虎視眈々とこの国に狙いを定めているときに、なにゆえにて・・・・・・・・・・・。
 わたしらがツアーを終え関空に着いた、その翌日に反日暴動のビックなニュースを耳にしたのでした。
その20053月末より4月中頃の余波が今日まで尾を引いている。
 
そして今や日中関係は抜き差しならん崖っぷちに至って久しい。
野田丸転覆のシナリオはシナリオ通りに粛々と進展した。
その様を座視するしかない真にピュアな愛国心の主たちは慚愧に堪えないノダ。
先日の記者クラブ主催の党首討論で、尖閣問題の火付け役兼台本作家さんに、その間の計り知れない国益損失の責任を如何にして執るのかと問い質せば、開き直りて“支那の国”にあって己自身にはないのだと豪語した。
同じ日本人として、同じ男性としてどうしても納得ゆきかねる返答であった。
さすがその場で、現民主政権に転嫁することだけは避けたようだったが内心は恐らくほくそ笑んでいることだろう。
師走も深まりいよいよ寒い時節が直ぐ目の前に押し迫ってきたようです。