老いぼれの形稽古《27》

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結びに当たり
 
 千葉県市川市在住の加藤さんから実に重厚なるコメントを頂戴した。
それを無断でご披露させていただくことと致した。
わたしの拙い稿に一輪の花を添えていただき有終の美を飾ることが叶えられました。
 篤く御礼申し上げたい。
 
【高橋さんの最後に書かれておられることが、大事だと考えます。
動作が間違っていなくても、お互いの呼吸が合わなければ意味がないし、カッコイイ様に見える形でも理合が正しくなければ何の価値観も有りませんから。
それと二の腕の押さえ方ですが、
二本目は「関節よりやや上部を上から押えて、腕の自由を制す。」
三本目は「関節よりやや上部をやや横より押さえ腕の自由を制する。」と解説書の注意書きに書いて有りますが、大抵の方は、下から支えるようにしていますが、彼方の見解はどうでしょうか。
私は、かつて故菅原先生範士九段から腕を掴まれ、二本目は関節のすぐ上の脈拍が感じる部分を上から抑えられ、三本目は脇より少し下にある脈拍を感じる部分を横からねじ上げられ、どちらも先生が私に「どうだ腕は動くか」と聞かれ、私は「動きません。」と答えると、そうだろ、小太刀は腕の急所を攻め上げることが肝心だよ。と教えられました。
以後私は、先生のやり方を真似し、形の初心の方にもその時の事を理解させるようにして、審査のための演技の形では無いと説明しています。
長い間の形の書き込み有難うございました。
楽しく拝見いたしました。】
 
付記
 未だ嘗てお目に掛かった事はないのだが、小野派一刀流の「切り落とし」、柳生新陰流の「まろはし=轉」、直心影流の「まろはし=丸橋」さらには無住心剣の「相抜け」の技など古流剣術の奥義にみられたような正に禅の世界での立ち振る舞いが最終段階には求められるのだろう。
無駄な動きを削ぎ落とし完膚なきまでも追い求めれば、結局のところそうなるのだろう。
まだまだ、先は長くて遠いのである。
先は遠い遠い彼方にあって、 ( かす )んでよく見えないのであります。
下手糞で訳の分からん馬の骨のような未熟者が生意気申して、かたじけなく存じ居る次第で御座います。        終