老いぼれの北海道行き《1》

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中国から帰った年の秋にまた北海道へ
行く機会をさずかった。
 わたしには二度目だが家内は初めてだっ
た。
わたしたちは決してそんなに悠長な身分に
あるわけではない、とにかく何か異様な切迫
感に急き立てられたように旅支度に駆り立
てられたことを思い出す。
 物見遊山の心境ではなかったことは確か
だ。
 老年病の何かに罹っていたに相違ない。
 
 
 
 
 
北海道紀行           二〇〇五年秋
 
 昼過ぎの便で新千歳に着きバスにて襟裳岬を経由して十勝川温泉へ向かった。
 日本経済には、一筋の光明とて射し込む兆しはどこにもない。
北の果て、此の地の中小零細都市にとっては未だ黎明の時はおろか深夜の闇夜同然の感を強くした。
夜の帳を下ろしたままなのだ。
 国道とはいえ対向車線には車がない。
只真っすぐに伸びた道路にバスのヘッドライトが真っすぐに伸びて揺らぐ。
天空には月とてなく、周囲も真っ黒な闇の世界で果たして広大なる耕地の真っ只中なのか、あるいは原始の森の中を突っ走っているのか想像するより他仕様がない。
それ程の真っ暗闇の中をひたすらバスは走る。
 やがて程なくして人家の佇まいを散見するに至る。
鄙びた街中にさしかかる。国道筋なので歩道も街灯も見受ける。
商店街らしく店の中を明るくはしているもののその光には力なく集客力を誇示する威力は感じ取れない。
何処の店にも人影がない。お客が一人も入ってはいない。
誇張ではない。何よりも通行人が見当たらない。
まさしくゴーストタウンに等しい光景なのだ。
 これでは如何ともし難い。
こんな私ですらそう思った。北海道経済が想像以上に疲弊している。
巷間で聞きし以上にバブル崩壊後の為政者による無策の様を目の当たりにした。
宗男代議士にしがみ付く道民の心情を胸掻き毟られる思いで感じ取った。
寂れ行く北の果てに住むものにとっては郵政民営化構造改革の掛け声も空しい響きにしかなかったのだろう。
無力な野党に加担するよりも狂信的な宗男教信者に早変わりするより他術がなかったのだろう。
此処に足を踏み入れると十分に納得できるのである。
例外が一つあった。コンビニエンスストアだけ電気系統が異なるのかと錯覚するほどに格別煌々と店内を照らし出し三~四人の客人をはっきりと捉えた。
しかし、返って空しい余韻を残こすだけであった。