老いぼれの独り言

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                       体罰を語る
 
体罰暴行事件を機に桜宮高校は全ての部活動をば自粛したとの
報道を見た。
 押し並べて殆どの公立学校が宿す致命的体質つまり隠蔽体質と事勿れ主義体質は、此の事件を契機に白日の下にさらされた。
当然な成り行きとして社会的風当たりは辛辣さを増しメデアはたたいた。
現に彼の市長さんも己の持論を覆してまでして明らかに体罰を否定される言動にまわられた。
体罰を容認し隠蔽してきた学校当局は世間の風評に耐え切れず、取り敢えず全ての部活を自粛させる措置にて反省の色を示した。
それにしても、他の部活にまで類推して活動停止をしたとて何の意味があるのだろう。
自粛ではなく畏縮ではないか。
いや、畏縮ならまだいい文字通り萎縮してしまった感が強い。
 
重々段階を踏んで説諭し教え導いも猶かつ改善の余地なくふてくされて反抗的態度に出てきたとすれば如何様に対処すべきか。
対教師暴力に及ばんとも限らない。
修羅場のような教育現場はそんなに生易しくはない。
愛の鉄拳ビンタが頬を炸裂しても仕方がない。
正しき人間として蘇生させる最後の手立てとして、愛の鞭は学校教育には必須うだと思う。
安易な濫発こそ自粛すべきであって、学校教育から愛の鞭が消え去ることを懸念する。
 
一方、自ら命を絶った若者の死を無駄にしてはならぬ。
これを契機に、体罰「絶対悪」論を国中に網羅し教育界より一掃せんとする風潮や世論形成をメデアは急いでいるようだ。
元巨人軍の桑田投手も加担せんと盛んに牽制球を投げ始めたではありませんか。
確かに、此れは正しいことに決まっている。
 
しかしわたしは、素直で心正しい日本人を育むためには最後の最後には一発の鉄拳が必要であろうと断固主張したい。
勝負に勝つ為ではありません・・・