老いぼれの独り言

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行き付けのいつもの体育館へ足を運んだ。
 お馴染みのKさんがロビーのフロアーをウインドクリーンのような特殊な用具で掃き清めていた。
 昨日は中学生のバスケットボール大会の関係でしょうか何時になく汚れが激しいのよ、とおっしゃる。
 成るほどこれは凄い、相当量の微細な土砂の類いだ。
 何者かが屋外用の履物を併用したに違いがない。
 わたしがその場に立ち会い居合わせた訳ではない。
 しかしそれは明らか過ぎる。恐らく学校関係者、指導教師、保護者の多くが居合わせたに違いない。
 フロアーの汚れに気付かぬはずがない。
 然すれば履物の底を点検するなり然るべき措置を執らねばならぬはずだ。
 彼の大人たちは試合の結果のみに拘り、勝敗の結果のみに関心を寄せていたに相違なかろう。
 指導すべきは試合に勝つことだけではない。
 スポーツマンに相応しいマナー、中学生らしい純真さ溢れる態度を学び身に付ける場であったはずだと思う。
 諸注意を素直に聞き入れて当り前だし、みんな好い子ばかりでしょう。
処が中には、云っても云っても聞く耳を持たぬだけではなく、むしろ反抗的態度に急変する子がいるものなのだ。
大人はそこで怯み軋轢を避けて見て見ぬふりをしてしまう。
 
泥靴の持ち主にはバスケをやる資格なしと一喝し、時と場合によってはビンタが飛んで然るべしと思う。
 
 いつも鏡のような館内のフロアーも本日は心なしか澱んだ光沢しかなかった。 
いつもの明鏡止水の境地には至らなかった。