老いぼれ教師の回想記《112》

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その六  石垣の 陰に潜みし 将中や
 
礼に始まり礼に終わる=その5
 
教育界に国家再建の為に身を挺して捨石と成り得る人材が育たなかったのか。
いや育たなかったのではなく、戦後に恒常化し正に年中行事と化したイデオロギー論争に伴う不毛の対立の陰に骨のある逸材たちは埋没してしまったのだ。
私の知る限りに於いても立派な先輩教師の雄姿を思い浮かべることができるのである。
 
斯くも無残な沈没寸前の日本国を形作ってしまった現今だが望みを繋いで日本国の甦生に知恵を出し合おうではないか。
挨拶がその場限りの挨拶に終わっては意味を成さない。
武道の修行でも道場の中に限らず道場の外に於いても同じくごく自然にお互いの立場を認め合う挨拶ができれば、どれほど住みよい世の中ができようぞ。
たかが挨拶されど挨拶、例のあの話題を振りまいた大阪の高校で生徒教師共々皆がみな信頼し合える心地よい挨拶が交わされていたならば、あの不祥事は起こり得るはずがないがです。
簡単なことなのです。
兎に角、何か大切なものが欠落していて誰も気付かずそれが当たり前になっていた。
やはり校長さんにも大きな責任が被さってきても仕方がない。
 
さしずめ散策の折、道すがら出会う見知らぬ隣人に気軽に会釈することからはじめようではないか。
小さな輪を大きな大輪に育てようではありませんか。