老いぼれの北海道行き《3》

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北海道紀行           二〇〇五年秋
 
 
③明治の初期にこの北海道の大地に資本主義経済の仕組みが導入され移植された。
先進欧米諸国より遅れることおよそ一世紀にして、ようやく産業革命の産声を上げて以来市場獲得のための侵略戦争という諸々の紆余曲折があったにしろ着実に成果を上げた。  
この地の原野が一翼を担ったのも事実であろう。
そして、今次大戦後に驚異の大成長を遂げ押しも押されもしない世界に冠たる経済大国に伸し上がった。
バブル崩壊後の低迷期も今ようやくにして脱却し軌道修正がなされたような按配だ。先に述べたとおりである。
この北海道の地に日本式資本主義の礎石が打ち込まれた痕跡を是が非でもこの目で確認し肌で感じ取りたかった。
尚且つ、北海道経済が蔑ろにされ等閑視されるに至った経緯をつぶさに観察したかった。
 
 
五日間の全行程で移動距離が延べ一六六〇キロメートルに及ぶ強行軍ではあったが、その間四四名の乗客を一人のドライバーとガイドさんによって賄われた。
いくら仕事とはいえどもいささかハードな労働を強いられたこととなる。
ドライバーさんも然ることながら殊のほかガイドさんは乗務時間が一〇時間以上に及び、その間のべつ幕なしにマイクを離さず話し続けた。
定年を間近に控えた超ベテランガイドらしく抜群の話術と流暢な北海道弁でバス内を魅了し続けた。
確かに網走集治監での集団脱走の話題の中で、開拓使庁時代に囚人労働が北海道開拓の最初の一ページに刻み込まれたことには触れてはいたが、それ以上の内容にまで掘り下げられることはなかった。
いわんや屯田兵については言葉の切れ端すら聞くことはなかった。
極めて遺憾に思うが、多分行程の都合上割愛せざるを得なかったのだろう。
もしくは堅苦しく気難しき話題を敬遠したのかも知れぬ。
客層のレベルを察知されてしまったのだろう。
向こうの観察眼がより上手だったのだろう。
不在地主制とか小樽~札幌間の鉄道敷設のことや官有物払い下げ事件など開拓初期の生々しい実情から日本式資本主義の発達にこの北海道の地がいかに寄与したものか、凄まじき開拓劇や入植者の辛苦の実態を聞き漏らしたことが唯一心残りだ。