老いぼれの独り言

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火曜日と金曜日のふれあい体育館はソフトテニス同好の士で賑やかだ。
ご年配の御夫婦が主体ながらご婦方が多くかしまし度がいや増す。
反響著しい館内は遠慮知らずの甲高き黄色い声で充満する。
此の歳でその元気の源は何処に在りやと不思議で仕様がない。
平均寿命が長いはずだ。
金曜日には片面の片隅にてわたしは居合を抜かせていただいている。
登録証持参の上なので誰からもお咎めはないはずだ。
それにしても雑然として騒々しすぎる。
沈思黙考、気を静め精神を統一し集中心を培おうにも敵いっこない。
しかし、これを逆手にとって此の騒音の中でこそ「無の境地」を会得する試練の場にいたそうと一心に抜いてみるのです。
周囲の「諸々の雑念」を遮蔽し我が身を「無の世界」に隔離する。
此れこそ至難の技なのです。
外国人のヘリケル氏でさえ会得した精神世界を何故東洋人のわたしが果たし得ないのか。
おのれの限界を知り殊の外情けない。
小手先の武道でない本間物の武道を志す資格は未だこのわたしにはないことが立証された。
居合なんてチャンチャラ可笑しい。
いい歳をして恥ずかしくはないのかと嘲笑われている事にお前さんはまだ気づかないのか。