老いぼれの独り言

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・・・1985年(昭和60年)12月31日18時37分・・・
忘れてならないこの記念すべき年月とこの時刻をものの見事に失念してしまっていた。
此の年は公私共々多事多難のひととせであった。
そして、最後の最後どん詰まりの日に最大のケチをつけてしまったのです。
依って、悪しき思い出は忘却の彼方へ置き去りにして然るべし。
此の処世訓を徹底的におのれの真髄に仕舞い込んだわけなのです。
今を去る事28年の1985年(昭和60年)には日航ジャンボ機が群馬県御巣鷹山に激突し死者520人の一大惨事発生の年だ。
また猛虎が爆発し阪神タイガースが日本一に輝き「六甲おろし」が日本國中に轟いた年でもあった。
その年の瀬に、此の我が家に一大事件が発生したのです。
1985年(昭和60年)12月31日大晦日の18時37分に風呂場のボイラー過熱による失火の火元張本人になってしまったのです。
通行人の通報で初期消火試みるがなお延焼する恐れありとみて119番通報に至る。
依って消防団車両7台並びに消防署車両7台つごう14台のポンプ車と消防車が半鐘とサイレンけたたましく参集した。
辺りは騒然とした。
閑静な住宅地に瞬時に人だかりができた。
幸いにもわが家の消火器二本の効を奏して鎮火に及んだ。
依って14台の消防車からの放水には至らなかった。
不幸中の幸いであった。
事無きを得た。
安堵した。
周りからも変梃りんな祝福の言葉をいただいた。
もっとも、ご近所の住人にはもとより町会長宅、消防署、近くの小学校へは平身低頭で詫びを入れたことはしっかり覚えている。
ボヤ騒ぎを出してしまいしことは一生忘れ得ぬ出来事だったが、其の発生した日時をきれいさっぱり失念していたのです。
今年町会の御世話を致す身となり、これを機に消防署にてパソコンデーターにある沿革史を紐解いで戴いた次第なのです。
夜回りを致す純然たる動機はまさにここにあるのです。