老いぼれの独り言

イメージ 1
                   朽ちてしまいました
 
独り拍子木を打ち鳴らし悦に入る。
“出しゃばりやの目立ちがりやめ”“すかんやっちゃ”
如何に詮索され邪推されようがわたしはお構いなしだ。
津田内蔵助正行から七代逆上った元禄期に、この津田玄蕃家のご当主に四代目当主津田 (たけ) (あきら)がいた。
此の人物とはわが母方の津田家との血縁はまったくない。
この孟昭も前田家の家老職にあった。
時は元禄3年(1690年)3月7日、現在の長町から玉川町、芳斎町辺りに居を構えた藩医宋叔 (そうしゅく)方から出火し十日間以上延焼し続け18日朝方に漸く鎮火したのだという。
何と6,639戸が全焼する大火に至ったのだという。
地震雷火事親父と三番目だけど火事は怖い。
人よんで此の火事を「宋叔焼」と称したという。
松尾芭蕉が金沢を去って6か月後の出来事であったらしい。
奇しくもその折、時の前田家家老職にあって事もあろうに定火消まで仰せ付かっていた津田孟昭は鷹狩の真っ最中で五代藩主前田綱紀公より大目玉を頂戴し家老職を解任させられてしまったという。
今ならさしずめゴルフに夢中ということでしょうか。
むかし、時の宰相によく似た御方がいらっしゃったことを思い出した。
両者ともある意味大物だったのでしょう。
もっとも孟昭は晩年には火消役にも家老にも復職したのだという。
 
これは全然別の話で次元が異なることなんです。
 
むかしのボヤ騒ぎの張本人が平気なお顔で拍子木を打ち鳴らしている。
本人はせめてもの罪滅ぼしの意味合いを込めているのだが世間はどうもそうとは見てはいないように思えて仕方がない。