うらなりの記《116》

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㉒ 後日談になるが、野田中卒業後六十年目にしてはじめて同窓会なるものに顔を出した。
その折に、金沢大学の教官で在られた須原正彦氏より往時泉寺町の飴玉屋さんへよく顔を出しに行きましたよという回顧談をなされた。
 
また、 金沢市 役所の重鎮で在られた寺西博氏からは国立病院の病室にまでもお見舞をいただいたという逸話を耳にいたし大いに驚嘆したのでした。
これ全て、電撃ショックのなせる業にして、この上なく素晴らしき真綿にくるんだような心温まる思い出の数々も私の記憶の外へ無常にも押し遣られてしまっていたのです。
忘却の彼方にあったのである。
遅きに失することながら、篤く謝礼の葉書きを書き記したことを今思い出す次第なのです。