老いぼれの独り言

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今年の墓参り=その2
「清三郎」の墓を建てたのは津田香太郎なるお人なのだが諸士系譜等の文献をあさるが依然として謎の人物の儘なのです。
素人の単なる憶測に過ぎないのだが玄蕃家を継いだ「音五郎」こと内蔵助正行が兄清三郎の墓石建立を思い立ったのではあるまいか。
音五郎を香太郎と変名いたしたのではあるまいか。
此れが一番自然だし辻褄が合う気がするのです。
判り切ったことなのです。
ど素人の作り話ほど下らない物はないのです。
戒名が三つ並ぶが右が清三郎のもので中央が正室・鉚のもの、左は後妻のものとなる。
「鉚」は才色兼備の人として、取り分け歌人としての素養高かったのだが愛児「近吾」産褥後の経過思わしくなく惜しまれつつ夭逝してしまった。
 「清三郎」は若き妻を想い慕って長文を連連と綴った。
それを香太郎に託して逝ったのだろうその墓石の側面には長き碑文が刻み込まれている。
惜しみらくは、此の碑文は彫りが浅かったことに加え永き風雪に耐えきれず腐食大いに進み判読不明の状態の儘なのです。
最新鋭の器機を駆使してでもして解読できるよう相務めねばならない。
そう墓前にて誓った。