町内よもやま話«5»

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8月最後の土砂降りの日に臨時の役員会が持たれた。
案件は敬老会の持ち方だという。
お祝いの品をフルーツにするか御饅頭にするかをみなで相談し決めるらしい。
とっくに後期高齢者の仲間入りを果たした当事者が会を召集し取り仕切るのも可笑しかろうと気を遣っていただいた。
お祝いの品定めより如何に敬老の質を高め温もりある誠の意を現わすかにありはしないだろうか。
私案ながら、適うことならば子供会とタイアップしお子さんの協力を得て老人宅にメッセージを添えて祝いの品を届けて頂ければとても結構かなあと思ったのだが見事に却下された。
斯様な前例を作るのは如何なものかと云うらしい。
軽老ではなく敬老の主旨を本当に活かすにはどう致したら良いものか。
只ただ形式だけを整え菓子箱等を届ければ済む事柄ではなかろう。
わたしが考えるには例えば夏休みのラジオ体操にお年寄りも挙って参加し子供たちを遠巻きに囲むように自分らも童心に返りたどたどしくも10分間の体操に共々相興ずる。
其処には計り知れないメリットが隠されているように思えてならない。
子どもも年寄りたちも在り来たりの極々自然な一体感を肌で感じ取れるではないか。
共に同じ生活空間にあって共に同じ生活共同体を営む間柄であることを知るだけでいい。
誰かが仰々しく音頭を取らなくていい極々自然な雰囲気が醸し出されればそれでいい。
お互いに小さな声でもいい“おはよう”と声を掛け合う、会釈するだけでいい朝のご挨拶を交わし合うだけで収穫大だと思う。
恐らくお年寄りたちもそんなことを望んでいるのではないでしょうか。
此の様な敬老改善の兆しの第一歩をわたしは提起したつもりだったのだがなかなかうまくいかないものだ。