老いぼれの独り言

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 先日9月25日の夕刻には突然の驟雨に見舞われた。
 びしょ濡れになって観光会館へ赴き「公園愛護のつどい」なるものに参加してみた。
 山出市政の緑化政策に伴う置土産的成果なのでしょうか市内には八百有余の夥しい数の公園があるのだという。
 ところがどうしたことか有効活用もままならず少子高齢化も手伝い得てして閑散とした雑草園に化けてしまうのが実態らしい。
 継承した山野市政は苦肉の策として地域住民や企業体の力添えのもと「公園愛護」を銘打ってこのような大々的集会を催すに至ったのでしょうか。
 実態を踏まえ今後の公園の在り方を鋭く追及する急進的再建論が展開されるものかと期待を膨らませながら参集してみたものの豈図らんや興醒め致しただけであった。
 大学の教官ごとき口調で一般論抽象論をひたすら並べ立てまるでニュース解説を聞いていようにさえ思えた。
 おまけに音質不鮮明で何を語っているのか断片的にしか意味が通じない。
 齢若き市の職員が会場を取り巻きながら誰一人として巡回を試み音量調整等を進言するに与かるものとて居らずいささかさびしい。
 所謂、指示待ち公務員だけでは吾ら市民にしたらとても心許ない次第なのです。
 況してや、前政権下で謳われた「新しい公共」論も現下の「アダプト」論も終ぞ一言も語られじまいであった。
 やはり寂しく思った。
 好く草むしりに精励したらあなたたちの町会には報奨金を水増しするから互いに競い合って取り組んでほしい。
 そのような趣旨の会合のようにさえ思えた。
 とにかく、老人たちが道端の草をむしる行為によって生甲斐とか働き甲斐をひしひしと感受できるような生暖かいこころの通じ合った世の中に仕立ててほしい。
 何よりもそのような社会を我々の手で仕立てて行かねばならぬと思った。