老いぼれの独り言

イメージ 1
 
 
9月4日の突風で倒れてしまった巨木上溝桜の無惨な姿に気付いたのが漸くにして10月3日の日でした。
先祖を気遣う気心が如何に好い加減であったかがよく判る。
 
一週間後、もうそろそろ片付いているだろうかと9日の昼下がり24号能登沖通過の最中に訪れてみたのだがまだ依然として手付かずのままだった。
催促がてら管理事務所に立ち寄ってみたが業者さんからの連絡は未だないのだという。
少しばかり懸念するのはチェーンソーで所構わず切断し分断細断し尽くされ廃材としてチップ化しパルプ材に供されてしまう事なのだ。
母方、津田家6代目当主津田金太郎近義は御馬廻から表小将、奥小将そして御使番へと順調な道を歩んだが文政4年(1821年)30歳にて病没してしまった。
つまり、嫡子清三郎近猷は父の墓標を建ててから凡そ200年近い年月が過ぎたことになる。
此の倒木の樹齢は恐らく此の年数に匹敵する事だろうと推測したい。
わたしは斯くなる淡い願望を此の倒木に事寄せているのです。
清三郎が父の墓石に寄り添うように手植えし上溝桜であってほしいのだ。
抱き合うように三本の幹が成長したが谷側の二本が今根こそぎ倒壊している。
根元の幹回りは優に一間近くは在ろう。
忠実な墓守のような大樹でした。
惜しい事だと残念至極に思う。
 
単純にして率直なるわたしの願いなのです。
 
業者さんに掛け合って此の樹の有効活用つまり別途活かす手立てを懇請して見なくてはならないと思っている。