老いぼれの独り言

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内村良一と内村航平とはどうも血縁はなさそうだ。
ただ、両者ともに幼少の頃より九州の地で育まれ小中高校と順調に才能を開花させこの地でおのれの実力を確固不動のものに築き上げて行ったのだといわれる。
その意味では両者には九州と云う地縁があったのかも知れない。
もっとも、剣道の良一さんは33歳に比し体操の航平さんは24歳の若さでその違いはあろう。
この両者が決して対決した訳ではないが
今朝の地方紙スポーツ欄を覗えば「楽天のシリーズ制覇」、次いで「駒大の駅伝三連覇」、その次が「地方競馬」のことに続いて「体操内村三種目制覇」の記事と「フィギアースケート安藤」の記事の後に小さな活字で『33歳内村剣道日本一』の記事が肩身狭く申し訳なさそうに霞んで見えるのです。
 判定に持ち込んだ両内村の対決は明らかに航平選手に三本の旗が揚がったようだ。
 少なくとも国技に準ずる剣道競技でありながら何故斯くもその存在が軽んぜられ低調なのか。
 新聞編集上に客観性を要求すること自体所詮むなしい限りだとは思うのだが、少なくとも国技がないがしろにされた感は否めない。
 
 ただ、剣道人の端くれから見ても確かに内村選手の見事な小手技は感服あるのみなのだが観るものに只単に竹刀さばきが早いという一面だけではなく内村選手の鋭い攻めの気勢に押されて小谷選手が面に動かんとしたその刹那を捉えた間一髪の小手技にスポットを当てて戴きたいものだと思う。
 この辺りの、両者の瞬時の駆け引きを現今の高性能カメラならしっかりキャッチして竹刀が文字通り弓のように撓って波打ちながら小手を捉え、相手右手首が転がり落ち鮮血が噴き出す臨場感溢れる場面を彷彿させるような演出効果をつくれぬものだろうか。
斯くなる願いに淡い期待を寄せることは常軌を逸していることなのだろうか。
 
 とにかく、剣道は生命を賭しての勝負ゆえ堂々とした武人らしい大技で決着をつけるべきだ。
 敬虔なる残心姿勢は観る者の心を動かす。
 打ちっ放し勝ちっ放しほど興ざめを来たすことはない。
 早い竹刀さばき体さばきだけで、“ハイ勝負あり”では国技が廃るのです。
 観るものに深い感銘と感動を呼び込むような「全日本選手権」でなくてはなるまい。
 そして、第弐次剣道隆盛期の再来に期待するところ大なのです。
 剣の理法を修錬するだけが目的ではない。人間形成が最終目標点ならばそれに応じた日本国剣道を再構築いたさねばならいのではないでしょうか。