老いぼれの独り言

イメージ 1
            末森山古戦場跡 なぜかしら柿の実が
 
 
父忠勝のもとへ津田としは昭和10年8月13日に嫁いだことになっている。
わたしが昭和10年11月1日生まれなので母としは臨月の3か月前にして漸く戸籍上入籍が許されたことになろう。
藩政期に置き換えれば、しがなき足軽分際のもとへ人持ち平士の娘が嫁いだことになる。
父と母の出会いについては一切知らされてはいない。
 
職場で知り合った仲なのかお見合いなのか今となれば知る由もない。
少なくても昭和10年以前より同棲生活にあったであろうことは間違いない。
二人の出会いの際に、天正12年(1584年)に前田利家佐々成政が対峙した末森山の合戦に於いて高橋・津田両家のご先祖の者たちが血で血を洗う肉弾戦を繰り広げた史実を果たして知っていたであろうか。
知り得る材料はその当時に於いてもあったでしょう。
ましてや、この両人は師範出の間柄ゆえ知り得る術は持ち合わせていただろうけど少なくとも我ら三人の兄弟たちには知らされることはなかった。
察するところ、恐らく父も母も此の重大なる史実を知らなかったことになろう。
戦中戦後の喰らうことだけに追い捲られ子育てにヤキモキするドサクサの中そんな余裕は何処にもなかったであろう。
 
もちろんご先祖の事とは言え今様のDNAの繋がりはまったく在り得ない。
家系の存続維持のため養子縁組が許された通りの繋がりに過ぎないでしょう。
更には、主君と家臣の主従関係に基づく繋がりに過ぎぬ事柄でもありましょう。
それにしても歴史上の一時点に焦点を絞り込むように両家のご先祖の複数の者どもが敵味方に分かれて複雑怪奇に絡み合って対決いたとは此れ驚きと云うよりほかない。
あの世で父母に再会した折には開口一番これを報告いたさねばなるまい。
死んでも忘れないように確と胆に銘じているのです。
その折の父と母の驚きの顔色が思い浮かぶのです。