敗者の条件≪8≫

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七つ目の戒文は
【敗者は努力に逃げ込み成果に対し厳しくはない】
 
敗者は努力を怠り回避するという意味合いではなさそうだ。
敗者は努力に逃げ込むとはこれ如何なることか。
努力に逃げ込むとは、基本稽古には真摯に取り組み表裏なく励んでいる姿が思い浮かぶ。
只ひたすら稽古に取り組み勵むことで全てに得心し満足し切っている。
負ける奴というのは真面目に稽古はするが漫然とした取り組みなので覇気がない。
 
努力の成果は戦果として明示しなくてはならない。
勝利を遮二無二剥奪せんとする貪欲なる敢闘精神を欠落させるようでは勝者には成り得ませんよという戒めに違いない。
 
それに反し、勝利至上主義には比較的に淡白でしかも無頓着で何ら執着もせず、目先の勝敗に拘らない存在が仮にいたにしても、その者は必ずしも敗者だとは言い切れないとわたしは思う。
人間形成に至る道程には幾筋もあろう。
剣技の奥義を極め、併せて人間道をも極めた真実の剣技の主は確かにこの世に存在なされよう。
只云えることは、剣技の奥義を極めれば必然的にその者が人間道をも極めるとは決して言い難いともいえる。
つまり、剣技の奥義を極めた御仁でも人間道を極めるには未だ至らざる存在も否定できぬということです。
故に成果とか戦果だけを厳しく追及し、その暁に勝者になったしても所詮それまでのことで寂しい限りだということです。
戦果なくても黙々と稽古に打ち込む姿にこそ本来の日本武士道が根付いているように思えてならない。